宝塚、懐かしの写真館(208)翠松子 「私を描く」、『歌劇』昭和10年2月号


 IMG_5795.JPG私が予科を出たのは昭和4年4月でした。同期生では有名に
成られた方が多く、私などは羞しくてなりません。

 ダンス専科では日本のカルサヴィナとも称される玉津真砂
さんをはじめ、衣川千浪、宮島あき子、梅野愛子、里野小美
智さんたちで声楽科は、断然光る、葦原邦子さん、櫻井七重
さん、寿三千代さん、普通科では大路多雅子、春日野八千代、
難波章子、阿古屋珠子、葵八重子さんたちの人気花形や、富
士野たかねさんなどの特異な技能で売り出している方もおら
れます。見渡せば多士済々、いつも私はこうしたお友達をあ
とから追いかけるだけ、私は風刺画のようなものと思えます。
 
 中西先生が私を評して「ミナトの日本娘」事実、私は日本
の海の玄関の神戸で生まれました。割にModernな神戸女学院
で学びました。趣味としては純然たる日本クラシックです。
でも読書なら外国作家に親しんでおります。だから映画でも
評判となった「若草物語」を随分以前に読みました。

 小学校は神戸の上筒井の近くの雲中小学校で、亡くなった
雛つる子さんもこの小学校です。私は小さい頃から宝塚ファン
で、天津乙女さんや春野若子さんらによる「邯鄲」を五歳の
頃、舞台を拝見しました。それからしばらく宝塚には来られず、
「正ちゃんの冒険」あたりから、大抵の公演を見てまいりまし
た。

 私が女学院を中退し、「宝塚」少女歌劇に入ることに母は別
に反対はしませんでした。逆に大いに激励され、ました。父は
女学院入学前に亡くなっていました。もし存命なら反対してい
たように思います。と思うほど、固い人でした。小学校で教会
に行ったときなど、よく舞台に上げられていました。

 ピアノはこちらに入る前から先生について正式に勉強してお
りました。日舞は入学後、藤間先生について専心勉強いたしま
した。去年の春、先生が長い外遊を終えて帰国され、私などは
お忘れになっている、と思ってましたが、ご挨拶すると「蝋燭
の芯切りはわすれへん」とおっしゃって、当時の神聖とは全て
覚えていられると知りました。

 この頃はあまり会いませんが、予科時代は、よく葦原邦子さ
んと一緒に勉強したり、遊んだものです。よく夜に、教室に残
ってピアノの稽古をしておりますと下駄箱に行く通路のドアに
鍵をかけられていました。すると、年上で姉さんの葦原さんが、
「私が鍵を取ってくるから」と当時から男のようで、半泣きの
私を前に自分はさくを乗り越えて取ってきてくれました。

 舞台で印象にのこっておりますのは岩村先生の「マスコット」
で、初めて舞台でピアノを弾かせていただきました。緊張で夜
も寝られず、家でピアノばかりに向かっていました。母も私の
下手なピアノで眠れなかったと思います。

 私の幼友達でピアニストになっている方が二人おられます、
上野の音楽学校で提琴科に在学の方もおられます。私が一番
ものになっていない気がします。

 同級では葵八重子さんと仲良くしております。外部の友達か
ら、姉妹ですか、と云われるくらいで、そんなに似てますか、
どうか。

 季節は秋が好きで、空気が澄んでいるからです。色彩はロー
ズ、系統のピンクが好きです。


 翠 松子

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