井上靖『風濤』1963,世祖フビライ・ハンの二重人格の怖さ、資料翻訳のようで読みにくいが


 ダウンロード (2).jpg井上靖は多方面に渡る多くの作品を書いたが、この『風濤』
ほど読みづらい作品はない。投資関係の資料を日本語に移し替
えたようで、読むのは難渋である。井上靖は想像力を歴史上に
働かせるが、この『風濤』はあたかも東洋史資料の翻訳のよう
に思える。井上靖も生まれつき、歴史の知識があるわけではな
い。まず資料に当たる以外にない。別段さほど資料もない、直
接の資料がないような敦煌、なら思うがままに想像力を働かせ
て書けた。西夏の直接的な資料は乏しい、だが元寇について、
さらにモンゴル帝国、高麗史、の資料は豊富だ。井上靖はチン
ギス・ハーンを主人公とした『蒼き狼』を書いた。これも元朝
秘史などよく資料をあたっているが、他人の作品にイチャモン
をつける癖のあった大岡昇平に「~は歴史小説か」と「問題提
起」された。「歴史小説」の定義はないが、あれくらい原資料
にあたっていたら文句はないだろう。

 さて『風濤』、題材がまず陰鬱である。元の日本侵略における
元と高麗とのありさま、その関係だから日本人があまり好まない
題材、テーマである。だから地味、読者の反応も含めて地味であ
るのは否めない。

 元寇を外側から捉えた作品が『風濤』なのであるが、侵略の通
路となった高麗の事情、歴史がそれをどう取り扱っているのか、
この歴史資料の渉猟が作者の仕事の大半であったと思える。だが
単に歴史資料の翻訳、にとどまならずやはり井上靖のアピールし
たいものはあったはずだ。それは何か?

 作者が描きたかったのは元の世祖フビライ・ハンである。また
高麗の浩茶丘だった。この二人の人物だ。端的に云えば、世祖の
ものにこだわらない、大きなにこやかな顔と、浩茶丘の冷酷無比
な蒼白い顔、高麗の運命を背負う元宗、李蔵用の、忠烈王の、金
方慶の思いを操りながら、高麗は言うまでもなく、日本を、さらに
は元自身をも揺さぶる歴史の流れを描き出したかったのだろう。

 外見では世祖、フビライ・ハンは太っ腹の温和な顔である。が遠
くに座した世祖の顔、詔書の向こうの世祖の顔、浩茶丘の前の世祖
は何一つ容赦しないという鬼の顔のようだ。

 世祖フビライ・ハンのこの相反する二重人格、温和と恐怖との、
頻繁な交代が高麗を翻弄する。高麗の混乱は極に達する。単純に
日本制服に高麗を利用というなら、そこまで高麗の絶望はなかった
であろう。そこへいくと浩茶丘などは単一の顔の武将でしかない。
高麗帰附民である浩茶丘の冷酷さ、同族への憎しみも世祖に比べた
ら児戯のようだ。

 つねに浩茶丘のは以後に駆け巡るフビライの二重人格、は本当に
怖い。

 

この記事へのコメント