吉行淳之介『女のかたち』1975,さりげないが人間をよく見抜いている、確かな洞察力


IMG_5743.JPG 小説の名手、吉行淳之介がいたって肩肘張らず、のびのび
書いたエッセイである。1975年に創樹社から刊行されたが、
現在は集英社文庫から出ているのではないか。のびのび書き
綴った女性論である。姉は吉行和子、なら読むのもやはり、
気楽に肩肘張らずにか?といえばそう甘くはない。女性の
身体を中心にした人間洞察の鋭さは随所に綺羅星の如く?
輝くよりは沈潜しえちるが、味わいはある。いたってハイレ
べるなエッセイだと感じっせる。読むうちに、何度となく、
立ち止まって考えてしまう、自省する、せざるを得ない、そ
ういうコクのある内容、文章である。書くほうがくつろいで
いるが、読む方もくつろぐのは、もったいない本だろう。

 もちろん吉行さんだから、意固地な信念はない。骨っぽさ
は出ていない。それどころか漫談調な文章にさえ読める。で
何気なく読む過ごす、その底にあるものが魅力なんだ。

 「私は昔はかなりの毒舌であったが」

 という文章、あまり今の人はご存知ないが、実はその昔、
吉行淳之介さんは毒舌家で知られていた。ならその後はどう
だった?

 続く文章は「人間が円熟の境地に入ってきたので、近年は
もっぱら褒める側に回っている」

 では何をどう褒めるのか、だが、例えば酒場の女性の鎖骨の
浮き彫りの具合に惚れて、君の骨はいい骨だね、といったり。
まあユニークだ。

 その辺の妙味はなかなか説明できにくいが、読者がおのおの
味わってみるべきだろうか。男と女が話し合う、まったく噛み
合わない。それは当然であり、男は「頭と心臓を含む円周の内
側」で思考するが、女はいつしか移行し、「子宮を中心とした
円周」で考えるからだというのだ。なんだか反感を感じる人も
いるだろうが、その毒舌めいた言葉の底にある、洞察の深さと
いうのだろうか。まあ、大げさに考えることもないが。吉行さ
んの人の良さには定評があった。飄々たる真摯か、

 「人生というものの中に置かれたハカリの片側に男が乗り、
他方に女が乗って、そのハカリが釣り合えば、それは男女同権、
ということである。だから女が男の領域に踏み込んでもダメで
ある。女性が女性としての美質を遺憾なく発揮して、はじめて
ハカリのバランスがとれる」

 あれ、保守的だな、とも思わせる面はある。でも含蓄はある。

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