懐かしの日本の情景(45)1966年、「初代カローラ」誕生、販売に至る恐るべき努力、労苦


 今やトヨタにとって「カローラ」はさして重要でもない車
かもしれない。車は高度化多様化した。まだまだ車を持つこ
とは夢に近かった時代、「アメリカでは工員でも車で通勤し
ている」と驚きで語られた時代の、多少あとになる。軽自動
車はあったが本当の粗末で安っぽく、2サイクルエンジン360
ccの時代だった。印象としてはまず日産のサニーが出て、すぐ
にトヨタのカローラが出た。「隣の車が小さく見えます」だが
今の基準だと、現在の軽四よりわずかに大きいくらい、さらに
非常に軽い、今の軽四より軽い。トヨタを世界的自動車メーカ
ーにソヒ上げたのはカローラだったことは否定できない。だが
カローラを生む出す苦労は並大抵ではなかったようだ。ここま
で!というほど徹底した試験を行っている。超寒冷な状態でも
機能するのか、高速性能、最高速は140㎞でも当時としては、
である。

 カローラを開発し、売り出すという決断は無論トヨタ首脳部だ
たtが、それを現実化させるチーフの存在、「主査」というよう
だが長谷川龍雄氏である。その要求性能を決め、設計し、データ
を計算し、試作し、テストし、大量生産のレールにまで載せて、
それを全国、海外の販売店まで運ぶ、全責任は主査の肩にかかっ
ていた。ついに初代カローラの発表、向上が次々と運び出され、
全国の販売店に運ばれる、いきなり輸出ともイカず、まずは国内
で、である。あとは消費者が実際に買うか、どうかである。ボディ
設計だけでも100名以上のデザイナー、長谷川主査はその一人一人
の顔を全て覚えている。発売開始後、一通の嘆願書が舞い込んだ。

   模型の前の長谷川主査

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 「不要になったカローラ試作車を安い値段で社員に払い下げると
いう話を聞きまhした。私はカローラの設計に参加し、私なりに努
力いたしました。どうか私にもはらいさげてくださいません」

 発表会では長谷川主査は

 「かねがね考えていた、幅の広い大衆車という理想を盛り込んで
います」

 初代カローラ、開発名は179A、長谷川主査は80点主義でまとめよう
とした。コストの兼ね合いは基本的だ。落第点を一つも作らず、二点
くらいは95点を取る、そういう幅の広い大衆車、幅とは全幅という意
味である。だからサニーより多少大きくなったわけである。

 発表の2周間前、豊田市内、矢作川のほとりでカモフラージュして
テスト走行する初代カローラ覆面車
 
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 新型車があらゆる気象条件に耐えられるか、マイナス50℃という
超極寒の低温室に入れてテストが繰り返された

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 実物大の模型を作って、ドライバーの視界、インパネ計器類の
見やすさ、シートの座り心地を実感テスト

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 専属のパトロールカーを従えて、産業スパイの潜入を監視しての
高速走行テストが終日、繰り返された。

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 高速テスト後は、一度、エンジンをバラして検査した

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 無響音室の中でエンジンの騒音を調べる

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 ボディカラーの設定を論議する

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  初代カローラ諸元

 排気量1077cc

 最大出力 60ps、6000回転

 全長 3845mm

 全幅 1485mm

 全高 1380mm

 ホイールベース  2285mm

 乾燥重量  690kg

 ミッション マニュアルのみ 4速

 価格 432000円 標準グレード

 それにしても行政のオモチャにされすぎる車である、メーカーも
本当に大変だと思う。

 
 

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