近代天皇制という窮極の無責任体制、責任は全て下の者に転嫁された


 明治以降の「近代天皇制」とはいうが、そもそも「天皇制」
とは何を意味するのだろうか、天皇が実権を失って、現実の
政治から離れ、天皇家は京都において存続し、ごく形式的な
役割のみ必要に応じて演じる、これを天皇制というのだから、
何も天皇、天皇家が現実の政治に関わる必要もないわけであ
る。明治以降は近代的制度、近代官僚制度のもとにおける、
宗教的権威をバックにした政治、統治構造に深関わることに
なった「天皇制」である、それを天皇親政とは呼べる道理も
ないし、近代民主主義との兼ね合いで考えれば、統治構造
になるべく、関わらない「天皇制」こそ望ましいはずだが、
大日本帝国憲法はもとより日本国憲法も非常に天皇の政治へ
のコミットメントを大きなものに仕上げている。大日本帝国
憲法は世界史に例もない、官僚制度下の天皇制神政国家とい
う、はなはだ時代離れした国家原理を持つことになってしま
った。明治以降は近代官僚制下のアイテム天皇制となった。そ
レまでは全く存在しなかった国歌、国旗が象徴的意味をを持つ
ようになり、近代官僚制もとの近代天皇制だから、官僚の仕切
る文書は今や世界に唯一となった「元号表記」がアイデム化し
ての制度の誇示という意味で、ますます堅固に行われているわ
けである。近代天皇制とは、どこまでも近代官僚制と近代的制
度、独自の思考のいまさの産物であることは確かである。現代
の官僚もますます近代天皇制アイテムに執着しているか、そ
れを自らのアイデンティティとさえ見做している下を見れば
分かる。

 近代天皇制が窮極の無責任体制と称されるのは、「上官の
命令は天皇の命令と思え」で下位のものは絶対服従であった。
しかし天皇がその命令の実態など知るよしもない、天皇は一切
責任は問われない。敗戦後も、昭和天皇は責任を一切免除され
た。「すべての命令の正当性の根源」であっった天皇に責任は
一切問われない、逆にB,C旧戦犯を見たら惨憺たるものである。

 帝国軍隊、皇軍を考える場合、「軍隊内務書」綱領で徹底し
た、いっさいの疑問も反抗も許さない完全服従が要求された。
「時と所を論ぜずに上官の命令に服従し、法規を恪守(かくしゅ)
し」で完全服従の精神は「忠実なる義務心と崇高なる徳義心に
依りて軍紀の必要を覚知したる観念」によって正当化された。
1934年、昭和9年には「高潔なる犠牲的精神」に改正された。

 命令には絶対服従、間違った命令はあり得ない、それは「天
皇の命令」に行き着くから、という明治以降の日本の国歌原理を
正直に示すものだが、戦後、多くの兵士、士官がB,C級裁判にか
けられた。徴兵義務無で集められた下士官兵、あるいは学徒動員
の将校をも含んでいた。要は、捕虜を殺害せよ、住民を殺害せよ
などの不法な命令による残虐行為において受命者がその責任を
問われるかどうかであった、あるいは命令でなくとも、上級士官
はその残虐行為を止めなかった責任が問われるのかどうか、、

 戦場での、戦地での残虐行為の責任について、英米j法では、
一般兵役義務を採用しない制度において、軍人もやはり市民と
しての責任を問われる、こととしたがフランスでは逆に命令には
絶対服従の掟があった。
 

 1943年、昭和18年に「軍隊内務書」は「軍隊内務令」とかわり、
命令と服従の論理が激変され、「上下斉しく法規を恪守し」は
「上下斉しく軍の本義を恪守し」に変更された。服従に動機づけは
「高潔なる犠牲的精神」から「至誠尽忠の精神」に変更された。

 つまり命令は全て適法であり、発令者は責任は問われない、命令
をされたものは絶対服従しか選択の余地はない、となった。その
根拠たる「軍の本義」とは「天皇親率の儀」と説明され、神聖不可
侵の天皇親率の原理故に命令に誤りはないとされた。絶対服従であ
る。発令者の行為から生じた結果責任は、すべて行為者の責任とさ
れ、それkそおが「至誠尽忠の精神」とされたのである。日本の皇
軍が最終的に確立したのは、これであった。ここにB,C旧戦犯の悲劇
もあるし、

 さらに「悠久の大義」とは「天皇陛下のために死ぬこと」となっ
たわけである。神風特別攻撃隊という統率の外道も天皇の承認にも
とであり、「悠久の大義」でイヤでも死ななければならない。戻れ
ば何度でも特攻に行かされる羽目になったのである。

 はて、江戸時代まで、天皇に権力の実権があった奈良、平安時代で
も果たして庶民、民衆が「天皇のために死ぬ」ことを「悠久の大義」
などと考える余地があっただろうか?無論、そんな実例もないし、ま
して天皇が実権を失って以降はその存在さ絵庶民は忘れていたはずだ。
京都近辺はさておいても。

 だが明治以降は「王政復古」とはいえ、全く日本史にも例がない、
近代官僚制にもとでの国家神道、近代天皇教という国家宗教が国家
原理となった。史上始めてのことである。官僚制度、近代教育制度
などを駆使しての国家神道、近代天皇教を国民に徹底するという、
前代未聞な社会となった。その流れは現在もつづいている。近代
天皇制とは古代を装う近代官僚制の変形にすぎない。近代天皇制の
さらに本質は、現代の日本人が、明治以降に創始されたに過ぎない
古代を仮装した国家宗教、その宗教アイテムの数々、諸概念が遥か
古代から連綿と存在し、それ故、絶対的な正当性を持ち、服従すべ
きという精神状態を作り出すもの、それこそが近代天皇制の真の姿
と云うべきである。

 近代天皇制、近代官僚制下の天皇制が一種の狂信を超える国家の
狂乱となり、軍国主義と一体化し、戦争自体が目的化した。ただ
死ぬことが目的化した。それは「悠久の大義」なのだから、死ぬた
めに、国民を死に追いやるために戦争自体が目的となった。もはや
政治目的も何もなかった。政治目的を見失った戦争は、戦略も生ま
ない。戦略もない軍隊は、たんなる、無駄骨、徒労でしかなく、そ
れは自己崩壊を意味した。中国戦線は全く徒労だけを強いる無目的
な戦場となった。勝利の展望も平和の模索もなく、戦争が「大義」
のために自己目的化した。

 明治以降の窮極の無責任体制はとりあえず消えたが、その官僚制
度は存続して強大化している、それは終わることもない課題を日本
人に突きつけているといえよう。

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