私の終活は、ただ誠実に生き抜くことだけ、小細工無用


 終活ということががよく云われるが、正直、好きな言葉で
はない。もちろん、残る子供、家族に迷惑をかけないことは
当然、ただ私の場合というか、私たち夫婦の場合、できるだ
け長く生きて、我が子を見守るという使命が最優先だから、
日頃の節制でまずは生きる、終活と云ってあまりことこまか
なことに小細工を弄しても始まらない。ただ、必要な情報、
プロイダー、などの情報はしっかり紙に印刷してキープして
いる。遺言状の類は必要ない、何よりも生きること、しかも
自分に責任が持てるように生涯、自活の精神である。私の母
のように子供の世話になっていながら感謝の気持を持たず、
遂には暴言の限りで墓穴を掘った。子供に暴言の極みでその
自覚すらない、ではお話にならない。全くのこれも好きな言
葉でもないが、反面教師、というか反面教師などはるかに超
ている。宇宙開闢以来の子不孝ではお話にならない。

 終活、・・・・・お墓は重要とは私は思わない。死んだら
借金の山、では最悪で、それも日頃から注意する、とにかく
生きることこそ終活と云えば終活だ。無茶な状態でポックリ
死ぬというのは最悪だ。あくまで節度を保って生き抜く、人を
決して頼らない精神と収入の確保である。何よりも健康、その
中で堅実に生きることである。

 サブスクだがNHKは「死亡証明」を遺族が出せば文句なく、
解約できる。NTTの固定電話、さらにドコモなどの携帯はやや
こしい、NHK以上である。戸籍抄本を出せばいいが、「親子の
証明も出せ」なんていいう。私はなんとか母の形態は解約でき
たが、NHKを遥かに超えると感じた。だが事前にということも
出来にくい。

 終活なんて、あえて言うならば、そんな言葉を使い必要はな
い。実はなるようにしかならない、ただ状況によっては必要な
場合がある。巷に溢れる「終活本」、週刊誌の「終活特集」に
首ったけは愚の骨頂である。まず生きる、誠実にひたむきに生
きる、その中から知恵は自然に生まれてくる。

 子供がいないと兄弟たちにも相続権はある、ただし遺留分は
ない。遺言は公正証書でないと裁判所の「検認」を受ける、とい
う家裁である。実は此の検認がなかなか厳しい、遺言状の正当性
を問われる、本当に被相続人の自筆かなど、問い詰められる。どう
してもというなら公正証書である。実際、念のために作成というケ
ースが多い、使わなかった、というケースのほうが多い。

 就活に絡めて終活?この造語は納得できない。まあ身辺の整理的
ない見合いだが、何も身辺の整理のために生きているわけでもない。
自分の人生だ、できるだけ誠実に生き抜くだけである。

この記事へのコメント