井上正治(『現代と人権』1970,公安警察の人権侵害を厳しく批判


 IMG_5854.JPG1970年、大学紛争のさなか、九州大学の学長事務取扱に
学内で任命された井上正治法学部教授はテレビ出演時の
「警察は敵です」発言で文部大臣が発令を拒否した、つま
り国の認可が得られなかったわけである。それをもって、
井上正治教授は九州大学を辞職した。その後の、直後の本
である。井上正治先生の現代の人権状況への危機感がほと
ばしっている内容である。

 序文でこう書かれている。

 「わたくしはこの三月末日をもって九州大学を去った。わ
たくしのこの一年は例の九州大学学長事務取扱不発令にはじ
まった。そしていろりそなことがあった。文部大臣が結果に
おいて、わたくしを九州大学学長事務取扱に発令しなかった
ことは、社会的・政治的な現実の厳しさを教えるものである。
何故か、それはすべてわたくしのこれまでの人権闘争のため
であった。しかも、その人権闘争がまともに警備警察に向け
られたため、治安に走る安保体制はわたくしを黙って見逃す
ことができなかったのである。いまや裁判にさえ、公然と
挑戦しようとする国家権力が、一人の学者を踏み潰すくらい
は何でもないことだ、・・・本書はそれに対する憤りの本で
ある。・・・・・・わたくしは戦前、学生であったばかりに、
列車の中でも毎度のように特高にトランクの中をかき回され
た。それは令状もなく公然とである。・・・・なだれをうつ
権力は、まず学問教育に挑戦してきた。すべて教育で決着を
つけるためである。現在では高校教育さえ、厳しい国家統制
の枠に組み入れられている。大学も例外ではない。・・・
こうした現実と戦うことこそが現代を生きることだと確信
する。本書をあえて公刊した所以もそこにある。これは私の
『人権宣言』である」

 井上正治先生は、刑事訴訟法を専攻した学者であるが、「
人権問題から出発しながら、結果的には人権感覚の不毛を
強く指摘せざるを得ないという矛盾」の前に立たされていた
のである。具体的には「博多駅頭事件」であり、「九州大学
学長事務取扱不発令」である。それをもって1970年3月に九州
大学を辞職、母校を去った。

 最終講義では「国家の刑罰権と国民の人権との緊張関係にお
いて、それをいかに調整し、どのように調和させるかというと
ころに刑法総論という学問は成り立つと言われています」

 一人の学者として、事故の専攻する学問と思想に対し、その
信念を守り通して大学を去ったわけでらう。本書はその最終講
義を冒頭の章としておいている。講演会の内容、法律専門誌へ
の寄稿を集めている。

 1968年1月16日、博多駅頭で中核派の学生らが機動隊の厳しい
規制を受ける姿を目撃し、「20数年、刑法学者として、刑罰
権力と人権とについて学生たちに説明してきました。刑罰権力
へわれわれはいかにすれば国民の人権を守ることができるか、
わたくし年来のテーマです。わたくしの目の前で、警察機動隊
によって人権が侵害されていると言うなら、その被害者が中核
派であれ誰であれ、私は黙って見過ごすわけにはまいりません。
もし見過ごせば、何千人という卒業生を裏切ったことになりま
す」

 「市民」のための「刑事警察」と「体制」のための「公安警
察」を峻別し、後者を敵と厳しく断定する。こういう発言が積
みかさなって「不発令」となったのであるが、その信念は揺る
がないわけである。文字通り、一層ラジカルな実践を行うとい
受け継いであり、人権保護のために挺身するということである。
誠に硬骨な学者だが、もう今はあまり見られない、保守化、
権力に媚びへつらう輩ばかりの時代である。

 ただ中核派よりというので革マル派に襲撃され、重傷を負っ
た井上先生ではあった。

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