フライ・オブライエン『第三の警官』アイルランド文学の骨法を受け継ぐ変わった小説


index.jpgアイルランド文学、といって英語のアイルランド文学だが、
独自のアイルランド英語、Irish Englishは特徴であるが、それ
以上に、例えばJ・M・シングのような文学は一つの典型かも
しれない。フラン・オブライエン、Flann O’Brienはそのアイル
ランド文学の正統の系譜!受け継ぐとも云われているそうだが。

 そのオブライエンの『第三の警官』、非常に変わった小説だ
とは思う。非常に深刻、厳粛な事柄を、アイルランド的と云っ
ていいのだろう、手のこんだユーモラスな語り口で話していく
ようで、ちょっと稀有の小説かもしれない。つまり、大真面目
な要素と、すっとぼけた要素の微妙な共存、バランス感覚であ
る。シングなどより、ジョイス、ベケットなどのアイルランド
作家に通じる、クソ真面目な顔で、とんでもない滑稽な場面を
臆面もなく繰り広げる、いわばアイルランド文学の骨法かと思
わせるものだ。

 変わった小説というのは、まず第一に死者を語り手として話
り手としているところである。死人が話す、だけなら別段さし
て希少性もないが、死者の目を通して生者の世界を見るという
形を取っている。いわば、現実を裏側から見るという感じの
作品は超珍しくもないし、斬新とも言えない。何が変わってい
るのかと言えば、語り手である死人が自分が死んでいると気づ
いていないことにあるといえる。なんとも奇怪な悪夢のような
殺人事件、茶番劇そのままのような不思議な警察署と警察官
たちは、語り手が死人と自覚していないだけに、さらに奇怪さ
を誘うといえる。作者が想像と幻想の翼を思いのまま羽ばたか
せる巧妙な設定だろう。ただし、さりとて想像と幻想にのみ、
溺れているわけではなく非現実に逃避しているわけでもなく、
まさに現実に我々が生きている世界の本質的な矛盾、こっけい
さ、ウソや不条理、それらを想像と幻想の翼でふくらまして
いるというえきか、」あえて奇妙な設定で現実の歪みを拡大、
誇張しているといえるのだろうか。実はこの世が歪んだ世界
であること、その歪んだ像が大きく映し出されているイメー
ジである。Flann O’Brien、フラン・オブライエンは1966年
に55歳でなくなったが、アイルランド文学の系譜という点で
外せない作家である。

この記事へのコメント