五木寛之『男だけの世界』1968,まさに熱きアウトローの爽快さ


 「男だけの世界」というとヘミングウェー、を思い出すが、
1968年の五木寛之さんの『男だけの世界』、収録の6話をま
とめて「男だけの世界」と題した本である、第二話の「第三
演出室」を除けば、他はすべて外国から芸能人を呼ぶ興行師、
つまり「呼び屋」の話であるが「一発企画に消費的な情熱を
賭ける」アイデアやくざというべき、男だけの世界を綴ると
いうより謳い上げていrる。

 「あけすけなインチキでも平気でやろうととする野放図な
行き方」という括りで共通しながら「泥土の中にトンネルを
掘って目的地に達しようとるすゲリラ的な傾向」の男もいる
し、「政治という翼を得て一挙に獲物を掴む巨鳥のような風
貌」の男、また「電子計算機の無機的な響き」を思わせるよ
うな合理的なビジネスマンというタイプもいる。

 ともかく、いずれにせよ、彼らは全て、世の硬い世界から
はハミ出した男たちであり、「どえらい話を持って来て世間
をあっといわせる」という、いわゆる一本独鈷の勝負に全て
をかけるわけである。

 「彼らは一人の例外もなく競馬をやり、雀荘に出入りして
いた。誰もがその視線の背後にくすぶるような、黒い炎のよ
うなものを持っている感じだった」

 とあるが、世の中からは、大組織も小組織からも独立しな
がかr,というか完全にハミダシ人間であありながら疎外感
はまるで持っていない。転落感もない、むしろ「賭ける張り
のような充実感」でぎらついている彼らの野性的な外見が
、どの話でも爽快感を与える。

 まさに獲物を狙う猛獣のごとし、動乱の世の中に細かい神経
を集中し、先手を打って世間を探ろうというのである。いつも
世間にあっといわせる意外な奇策とそれからの結果、次々と
探り出す。

 「第三演出室」に描かれているのはテレビ草創期のヒーロー、
別にドラマの主人公ではなく、当時は華やかでも、もはや使い
ものにならないディレクターたちも、呼び屋と同じ、男だけの
世界に勝負を挑んだ男たちである。で、彼らの姨捨山、の第三
演出室へ送り込まれたように、卵生のやり手の英雄、呼び屋た
ちも「灰色の草も木もない、荒涼たる道」を歩んだ果てに、全
手は組織化、企業化の統制下に入る時流から爪弾きされ、敗残
の身の上となる。・・・・・と、そこまでは描いていないが、
そうした運命を匂わさせる。誰しも陥る可能性がある非情な世
界、

 呼び屋の小説というなら、井上靖の「黒い蝶」、ロシアの世界
的ヴァイオリニストを呼ぶ、「闘牛」の主人公と同じ人物、だっ
たっけな、だいぶん、雰囲気が異なる。あれは新聞社の社員だっ
た、「男だけの世界」は「黒い蝶」など比較にならぬ真実在の熱
い、また爽快な世界だろう。


  昭和48年、1973年7月、雑誌「噂」賞受賞式パーティー会場
での五木寛之さん

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