安岡章太郎『軟骨の精神』1968、硬骨の反対で自分の生き方を貫こう


 images (1).jpgこの世は「硬骨漢」とはよくいうが、「軟骨漢」とは
まず聞いたことはない。だが安岡章太郎さんには確かに
「軟骨漢」がよく似合うだろう。遠藤周作さんとともに
劣等生を自認、旧制高校の類はことごとく受験失敗、定員
に空きがあった慶応大文学部予科に、慶応大文学部予科は
遠藤周作さんと同じだろう。だが才能は隠せない、病気に
も耐えぬいて才能は開花したが、やはり根底には劣等生的
なイメージが流れている。私も劣等生だからその気持はわ
かる、が私には才能がない。しかし劣等生、受験失敗をも
繰り返すにはやはり無限の親しみを感じてならない。

 さて1968年の安岡さんの「軟骨の精神」、この本が出た
15年ほど前、安岡さんは『悪い仲間』で芥川賞を受賞した。
その頃だろうか、慶応文学誌の『三田文学』で「第三の新人
座談会」そこで安岡さんは「第一次戦後派の人たちはブルド
ーザーのように道を切り開いてくれましたが、道といっても
岩がゴロゴロ、ぼくはあくまでその穴埋め役です」といって
「乞うご期待」と片手を上げたそうだ。これが早速「第三の
新人は第一次戦後派の穴埋め」とさっそくジャーナリズムに
喧伝された。

 とにもかくにも人生で負け続けた劣等生という謙虚さは立
派にちがいない。ブルドーザーが硬骨なら軟骨はツルハシで
こつこつ地道に道を切り開く、タイプなのだろうか。

 とにかく安岡さんは、もったいぶったことが嫌い、気取るの
が嫌い、なにか小難しいことを書くのが嫌い、もったいぶった
気取った難解さに深遠な思想が宿っている、という考えに、安
岡さん反発する。

 「私たちの日常の中で感じられる些細なことの漠然たる集積、
、つまり気分」の中にこそ本当に大切なものがある、というのだ。
それを軟骨の精神というのだろう、堂々たる気取りのなさである。
誰しも認めるものは、ちょっと待て、である。へそ曲がり的な部
分はある、だがそれは真実のへそ曲がりだ。

この記事へのコメント