『安部公房戯曲全集』1970,一見奇抜に見えるが、現代を見つめる容赦ない眼


 安部公房というとイメージ的には奇抜で、本音としては何か
イヤなイメージ、という読者は少なくないと思う。何も世間が
褒めそやすからと云って、別に感動しないものを褒める必要も
一般読者はない。だから否定、正直、頭間のいい人が書いた
難解な作品という先入観は長く私自身にあった。しかし文学作
品全てについていえるが、読む以上はその中に染まらなければ
一歩たりとも進まない。芥川龍之介の文学鑑賞の本質は、「
まず、相手様の世界に完全に連れて行かれるべき」なのである。
 
 安部公房は小説よりまず戯曲から入るべき、だと思う。戯曲
こそが安部公房の真髄である。それは現代の日本演劇と密着し
ている。端的に言えば安部公房の戯曲無くして現代日本の演劇
はないといって差し支えないくらいだ。独自の雰囲気だ。やは
りカフカの影響が濃いのだろうか。戯曲は流石に妙にチェーホ
フも漂う。


 1993年に安部公房は1993年、68歳で亡くなった。2018年には
一人娘が64歳で亡くなっている。

 1970年に新潮社から出た『安部公房戯曲全集』である

 虚心に、というといかにも偏見を持っているみたいだが、虚
心に読めばたしかにその、語弊はあるが、みずみずしいといって
いいのか、その新鮮さには驚くものがある。1955年作の、つまり
20歳くらいのときの戯曲『制服』から1969年の『棒になった男』
収録の11篇、すべてすぐに現代演劇にそのまま使えそうなものだ。

 1958年作の『幽霊はここにいる』はかって俳優座で演じられて
いる。『幽霊はここにいる』もそうだが、安部公房の作品には、
妙に幽霊が登場するものが多い気がする。安部公房んp戯曲には
幽霊が生き返ったり、死んだものが生き返って口をきくというよ
うなものがよく見られるようだ。『おまえにも罪がある』もそう
だ。また一人の女が、高利貸し、ドロボウ、刑事の三人の妻にな
ったりという『可愛い女』、独身の男のアパートの部屋に八人の
家族が押しかけて住み着く、という『友達』、さらに、飲めば必
ず成功し、一切の夢が叶うという特効薬が出たりする『快速船』、
動物磁気治療法が効くという珍獣「ウェー」が登場の『どれい狩
り』、

 どれもこれも奇抜で奇想天外で、文学趣味、普通の意味でも
文学趣味に染まる人には、なにか文学性に欠ける戯作に思える
だろう、だが食わずキライにならず、現代を痛烈に批判する精神
を認めねばならない。

 現代と歴史の関わりを直接的にテーマにした、わりと安部公房
にしたらリアリズムの要素のある『巨人伝説」、『城塞」
さらに『榎本武揚』などでも、ダイダラ法師が出てきたり、時間
が終戦時点で止まったり、榎本武揚への現代ジャーナリズムのイ
ンタビューがあったり、なんとも一見するとバカバカしい幻想、
がある。これらの相も変らぬ奇抜さは、かってのアングラ演劇に
多く見られたような、奇を衒ってよしとするひ弱さはないであろ
う。その奇抜さに底にあるものは、どこまでも現代の状況におけ
る人間のいわば限界状況を見抜く執拗な目である。その見た目の
奇抜さ、異様さはそのコンセプトの要求によるのである。

 ある意味、現代演劇の参考と思って読むのもいい、唸らせる
ものはある。



 新国立劇場での「幽霊はここにいる」公演

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