吉屋信子『底の抜けた柄杓』(講談社文芸文庫)、十人の俳人の伝記、特に面白い「岡崎えん女」


 10366_690.jpg現在は「講談社文芸文庫」だが元来は1964年に新潮社か
ら刊行されている。吉屋信子さんは少女向け作品の作家と
いうイメージで、事実そうであるが、あまり知られていない
かもしれないが、御自身で俳句を作られる俳人でもあった。
そこから俳句への探究心が増して、俳人も生涯の足跡への
関心が芽生え、その結果、十人の俳人の伝記を物語風に綴
ったものであり、副題が「憂愁の俳人たち」である。

 著名な俳人も含まれているが、むしろ寂しい孤独な生涯を
送った俳人への共感が強く感じられる。というより、そのよ
うな悲運の寂しい生涯を送った俳人にその関心が集中してい
るようだ。「憂愁の俳人たち」とはその意味である。

 十人の中で村上鬼城や尾崎放哉は近代俳句の、いっわば巨匠
というべきである。杉田久女は女流俳句の第一人者である。

 他方で不遇な障害者の俳人、富田木歩は比較的、評価され
始めるのは遅かったようだ。しかし名前はかなり知られてい
いた。だが、岡本松濱、石島雉子郎となると、一時的にはか
なり名前が知られて評価されたがすぐに埋もれてしまったよ
うだ。高橋鏡太郎は結構、有名だ。しかし渡辺つゆ女、安藤
兄弟、赤舟と林檎は全く知られていなかったに等しい。岡崎
えん女にいたっては吉屋信子さんが発掘したといえる。俳人
とは最初、吉屋さんも知らなかったそうだ。

 だから、この本で一番興味深いのは、読者の個性にもよる
だろうが、「岡崎えん女」というべきである。面白い、のだ。
新聞の社会面の「老人ホームの女性がはねられる」という
記事に吉屋さんが何故か興味を持って調べていくと、三十間
堀船宿寿々本の娘であり、西銀座の酒場、岡崎の女将となっ
て『荷風日記』に恩人ともヒステリーの狂女とも書かれてい
て。それが荷風の友人籾山梓月の指導で俳句を作っていたと、
わかった。その経過が面白いのである。いかにも吉屋さんが
楽しみながら書いているという風情だ。
  
 「底の抜けた柄杓」というタイトルは尾崎放哉の「底の抜
けた柄杓で水を呑もうとした」という俳句から出ている。底
のない柄杓とは、尾崎放哉の人生の象徴だと吉屋さんは云う。
いたって吉屋さんの人柄が出た小さな画集風の読後感の爽や
カナ一冊である。

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