夢野久作は、なぜ評価が低いのか?晩年の極度の国粋主義化、右傾化、軍国主義化


 large_36b8b900e0.jpg夢野久作の父親は大陸浪人系の右翼の杉山茂丸である。
多くの軍人、政治家と昵懇の政界のフィクサーであった。
その影響は結局、噴出した。晩年、というか後半生の軍国
主義化、右傾化、国粋主義化である。三大奇書の例の作品
、江戸川乱歩をして「さっぱりわからない」と言わしめた、
また他にホラーもあるから、ひたすら怪奇路線なら作品に
疑問符は付いても個性を評価されていただろうが、大町桂月
があれほどの文章を残していて評価が低いのも「君死にたも
うことなかれ」に「打首に値する」と皇国軍国主義から罵倒
したこと、それと似ている要因と思われる。

 夢野久作が破天荒な個性的怪奇作家、だけであったら話は
違っていただろう。夢野久作全集は三一書房から出ているが、
第一巻は初期の秀作揃いである。違和感はない。だが晩年の
短編を収めた第六巻ともなると、ばなんとも違和感というか、
反感さえ覚えて読めたものではない。時期で云えば第一巻は
大正15年から昭和6年まで、第六巻は昭和10年から11年にかけ
て、である。夢野久作がなくなったのが1936年、昭和11年であ
る。昭和10年以降は、極端なその動きが露呈される。心の動き
であり、端的に言えば、右翼的、国家主義、皇国史観、国粋主
義というものである。実に頑迷な排外思想の権化となっている。

 夢野久作の晩年の精神は不毛であった。むろん、あらゆる国
民、あらゆる文学者が国策への絶対的協力を強いられたのは紛
れもない事実である。

 しかし夢野久作について云うならば、かれが外部、国家から
ことさら強いられて不本意なながら書いた、とは到底考えられ
ない。その晩年は反米、反共の国粋主義をまさに思うままに、
世間に発言できるという喜びの有頂天になっているとしか思え
ないないようなのだ。

 その内容は左翼の人たち、プロレタリアート、日本共産党員
などは全く矮小化され、小馬鹿にされ、何の自発的意思もない、
あわれな操り人形として戯画化されて描かれている。インテリも
庶民の国家的熱血漢にその偽善の下面をはぎとられ、自己保身に
汲々とするエゴイストのように描かれている。アメリカは可憐な
大和撫子を謀逆する悪辣なギャングのように描かれている。ソ連
は国民を洗脳し、残忍な恐怖国家としてのみ描かれている。全く
の単純化であり、図式化である。当時の軍部、特高の考えをその
まま述べているようだ。

 晩年の夢野久作のこの傾向は昭和8年の「暗黒公使」でかなり
すでに露骨に出ている。アメリカの厚顔無恥な部sh室主義を敵に
まわし、我が大和民族は「清らかな、魂ばかりの愛の世界」を拠
りどころに徹底抗戦しなければならないとする。この日本民族の
命運をかけた戦うは近未来に行われるとする。極端な精神主義、
排外主義は晩年の夢野久作が夢に描いて参加できなかった日米戦
争の残虐を思わせる。

 昭和7年の「焦点を合わせる」で夢野は、無国籍者ばかりが乗り
合わせた、東シナ海海上に浮かぶ貨物船を部隊に、民族的アイデン
ティティ解体のドラマを描き出した。だがその後は、左翼の衰退、
右翼の巻き返しで、その焦点はさだまってしまった。アイデンティ
ティ喪失の主要動機にしていた作家が、安易な解決に走ってしまっ
たのである。

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