矢掛商店街、近所だった元鮮魚名店を訪問


 IMG_0222 (2).JPG309037628_2959969704305554_2613798217130105364_n.jpgもう古い、といって昨年のことだが、故郷の矢掛町の美術館
で「与勇輝展」が開催され、そのついでに生まれ育った矢掛商
店街を散策した、さすがに商店としては成り立たないので、多
くは閉店、他方盛況の「ぼっこう堂」無論、新しいお店で製造
だが、さらに観光に活路を見出そうという町の明確な方針で空
いた古民家を積極的に改修、旅館やレストラン、飲食店、など
が賑わっている。ただ昔は真備町まで十分、商圏で日曜は買い
もの客、小中高生、幼い子どもたち、地元の人達であるき難い
ほどだった。あの商店街の栄華、賑わいは消えてしまったが、
新たな観光の町、倉敷の奥座敷というキャッチフレーズでで
おおいに売出している。日曜、祝日、連休などは本当に観光客
が多い、その日はまた与勇輝展だったので、・・・・

生まれ育た家の、本当に汚い古民家だったが、その西に三件目
、大久保屋という鮮魚名店があった、比類ない名店といえた。
「魚を食べるなら矢掛だ」という定評があった。早朝どころで
はない、朝三時に笠岡の魚市場に仕入れに、その家の娘さん、
に幼い頃可愛がってもらった。笠岡のミナトに連れて行ってもら
ったり、表に経っていたら「お菓子を買ってあげるから赤沢に
行こう」とお菓子屋さんに、まだあのお姉さんが高1くらいだっ
たはずだ。

 もうそのお姉さんは次女だったので早く嫁いて鎌倉、稲村ヶ崎
へ、十年ほど前に脳梗塞になられたとか、その元鮮魚名店に入っ
てみた、正直、いきなり訪問できてお話ができるのはそこくらい
なものだ。

 長女の方が養子さを、鮮魚を継いだのだが、さすがにもう閉店
されて、「お土産物屋」、あの名店時代を知る身では侘しい限り
だったが。向かいのお寿司屋さんが火事で廃業も影響したと思う。
ともかく今、いきなり訪問できて飛び込んでお話が親しく出来る
、というのはこの旧「大久保屋さん」だけである。屋号であり、
実際の名前は異なる。

 記念撮影、ご主人が若く見えます。

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 2010年ころの大久保屋さん

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 当時の向かいにあったお寿司さん 「不司」

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 2010年ころの「多賀文林堂」

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 観光に活路は成功したが、他の場所に新都心!はできない
以上は商業の壊滅的不振とならざるを得ない。まちづくりは見事
だし見た目はいい、空き家の処理がうまい、わけであるが、もう
昔知っていた方の姿はない。


 

この記事へのコメント

killy
2022年09月26日 19:32
現状は、人は多いが物は売れない。
「観光化で発展した地区はない」といわれています。 先日、「やかげ作家さんぽ」のイベントで東西を1往復しましたが疲れました。
作品が、商店や飲食店の中に展示してある場合は、買ったり飲食しなければ入りにくい。それでも初日と最終日に往復しました。
昨年、「途中に無料休憩所が必要だ」と言いましたら、「他の飲食店の営業妨害になる」と断られました。 これでは発展は無いでしょう。