公式的な歴史はデタラメばかり、「家康遺文」の「人の一生は・・・」の偽作と明治天皇の出自、大室寅之祐の隠蔽


 世に伝わる歴史は本当にデタラメの極みだが、近代社会は
公的な強制された教育制度があり、そこで公式的な歴史を
叩き込むという悪弊がある。実際、時の権力者に都合のよい
ように作られたのが、いわゆる「歴史」である。その例を挙げ
際限もなく、何から何までウソということだが、信長の「比叡
山焼き打ち」これはひとえに「信長公記」の名文!をそのまま
市信じ込まされれいるのだが、1981年11月26日、朝日新聞夕刊
の学芸記事で「延暦寺焼き討ちの真相」として、滋賀県文化保
護課の方が発掘調査によって山上にあった塔堂は少なく、僧侶
たちも多くは山を離れて坂本を生活の場としていた、というの
である。署名記事だったからいい加減な内容ではないはずだ。
「信長公記」のほうが古いから、といって脚色捏造が非常に
多い本である。真実、過去のことは分からない、昨日のことで
さえわからないのに、過去の古い事案は、時の権力者に都合よく
捏造されるし、別に権力者が介入しなくても、世に伝わることは
多くが事実ではない。

 徒然草の第73段にある通り、

 「世に伝うること、まことにあいなきにや、多くはみな
そらごとなり」

 そこでまたかといわれるが、明治天皇は誰だったか、それは
長州藩が囲っていた大室寅之祐である、と考えるしかないので
ある。大室寅之祐が当時の最高の維新の志士たちに囲まれた
集合写真の中央に写る、有名な写真がある。だがそれほど重視
されたはずの大室寅之祐のその後は全く行方知らず、こんなこ
とはあり得ない。なぜ?明治天皇に担がれたからである。長州
藩と一心同体である人物でないと明治天皇は務まらない。大義
としては南朝復活、だから楠木正成の銅像が皇居前に建立され、
明治以降は北朝についた足利尊氏は逆賊の典型とされた。だが
、明治天皇は遂に「私は大室寅之祐、南朝の血を引く者だ」
と公的に宣言しなかったが、同時に南朝こそ正統と最終的に
聖断を下しているではないか。ウソで通説の歴史が固められて
いるのは当然にせよ、明治天皇の真の出自をいまだ隠蔽、公的
に隠蔽は歴史の名に値しない。

 明治天皇は写真をとにかく嫌がった。真意は推して知るべし
である。

 即位、間もない明治天皇と維新時の大室寅之祐、その顔を
比較すべきだ、完全な一致である。左右の違いはあるが、耳介
もほぼ一致している。

IMG_9048.JPG
 

 「家康遺文」に「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが
ごとし、いそぐべからず・・・・」

 各地の東照宮には実際その自筆の遺墨があるともされいたが、
完全な偽書であり、旧幕臣の池田松之助が明治以降にこの偽作
を行ったというのだ。それも種本があり、水戸光圀の随筆から
ヒントを得たというのだ。名古屋の徳川美術館長の指摘だから
説得力がある。

 明治天皇の出自は、いつの日か明らかにして欲しいが、永久
に公的にはいっさい触れない、ということであろう。だが事実
は事実である。田中光顕侯爵の発言にもあるが、南朝は見事に
復活したのである。これぞ大義である。

 無論、歴史はウソ、歪曲、隠蔽、誤り、・・・・・常に真実を
探るスタンスは持ち続けたいものだ。

この記事へのコメント

killy
2022年09月27日 13:05
神宮皇后、聖徳太子、仁徳天皇の説明文がある神社・仏閣の由緒は全部偽物としています。