後藤紀一『少年の橋』1963年上半期芥川賞、山形の画家の小説、やや小さくまとまる方向性
1963年、昭和38年の上半期の芥川賞受賞作の『少年の橋』
、作者は後藤紀一、はて?と思うが、知名度自体は高くはな
いだろう。山形県出身で小学校を出て京都で友禅染の奉公、
その後、山形に帰り画家の道、同時に同人誌「山形文学」に
参加、そこに掲載の『少年の橋』で受賞となったのだが、
演劇作家のよしもと所属の「後藤ひろひと」の大叔父である。
この「後藤ひろひと」大学の学歴が私と全く同一の部分があ
って、思い出して苦渋である。
文藝春秋から単行本、受賞作を含む短編集が出ているが現
在入手は難、なら「芥川賞受賞作集」などで読むしかないこ
とになる。
『少年の橋』は中学三年の草平が主人公で語り手、「この
ふわふわした感じは何だろう。体が透き通るみたいだ。そこを
風が吹き抜けていくみたいだ」
同じ収録の『罐の中』も同趣の作品で15歳の利根子が語り手、
「ただあたしは、いつもお腹をすかせているだけなんだ。それ
が実際で決定的なことだ。体がいつも紙風船みたいに空っぽで
、だから少しの風でふんわり舞い上がりそうな具合」
まるで似ている二作品だ。
やっと身の回りのもの音を鋭く聞き分けるようになった少年、
少女の目を通して著者は何を描こうとしたのか、である。
草平は「ぼくの家には、妖怪が棲んでいる」と思うことがあ
る。山形の古民家ならそういう雰囲気に満ちていたのだろうか。
その妖怪が「けたたましく、サキソフォンのような声で笑い出
すと、家の中のものが気が変になってしまう」という。
画家の親父が酔っ払って、声は酔うとますます低くはなるし、
また理詰めになって、おふくろくらいバカで恐ろしい人間はこ
の世にいないと追いつめて、ゲラゲラ笑い出す。おふくろは親
父と別居していた当座はともかくも、また元の暗い顔に戻って
「もう家にお米がない、お父さんのところに行っておいで」と
こめかみに青筋を立てて、きつい目で草平を睨む。利根子は「
あたしたちの家族って、いつでもブリキ罐の中の石ころみたい
なものだ。誰かがなにか言っても、体の何処かに傷がついてし
まう」と思って「あいつがわたしたちの家族を修羅場に投げ込
むんだろうか」
利根子の四人の兄妹は、ひとりひとり全て父親が違う。で、
誰もその父親を見たことがない。名前も知らないのだ。ずるい、
起こらないで、笑ってばかりの「あいつ」がその原因なんだ。
家庭の歪みなのか、社会の歪みなのかともかく、変なおとな
の招待はに、草平も利根子もいら立つ、落ち着かないのだ。
その少年少女の不安は人士えのき日の一つの側面としても、全体
の印象は著者が小さくまとまりすぎていこうとする、」なんとも
野性味に欠ける筆致は読む方として不満が残るのではないか。
受賞後、程なく画家に専念したのも分かる気がする。
後藤紀一の描いた絵画

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