死んで忘れられるどころか、生きていて忘れられる人が多い


「あゝ、死んだらもう人から忘れられるんだな」と歎く人は
多いというか、たいてしそうだろうが、現実は死んで忘れら
れるのは当然だ、生者が死者のことを相手にするヒマはない。
親でもすぐに忘れてしまう、だが大切なことは、生きていて
も人から忘れ去られるケースが多い、ということだ。それは
、孤独になりやすい傾向の人に顕著であるが、基本的に、人
はすべて生きていても忘れ去られ、かねない、一種の「限界
状況」にあるともいえる。

 誰しも孤独は、と云うより、何か疎外され、仲間はずれに
され、無視されるのはいやなものだ、和気あいあいの人の輪
の中にどうしても入りにくいような人、いつもぽつんと一人
ぼっちになりやすい人は、忘れられる傾向が強いのは明白で
ある。死んで忘れられるのを寂しがるどころか、生きていて
もすっかり忘れられ、あるいは存在を無視されるような侘し
い存在に成り果てる。

 だがこれに高齢化という要件を加えると、誰しも、とくに
男性は孤独に陥りがちだ、女性は概して友だちが多いものだ。
仕事もリタイアし、さして趣味性もなく、友人も少ない、か
、いない。まして伴侶に先立たれた男は惨めさが漂う。

 だがそのような世間一般にあるような、生きて忘れられる
というものでなく、その個性としての孤独さ、疎外されやす
さから、キルケゴールのいう「例外者」的な資質ゆえに、生き
ていても人から忘れ去られる、というケースは人間の内面への
影響、精神における意味が深刻である。死んでいるわけでもな
いのに、もう誰からも連絡はない、孤独な性格、例外者てきな
資質のものはネットでSNSをやっても、不思議なものでネット
なら分からないだろうと思っても、疎外されやすいオーラが
SNSでも漂って、まったく「いいね」もないし、リクエストも
ない。カツ丼の画像をアップしただけで何百も「いいね」を
もらうオヤジがいるというのに、・・・・・・この差はどこに
由来するのか?

 やはり素質と言うべきだろうが、生きていても、別に高齢期
でなく、若い時代でも、青春時代でさえ、誰からも忘れられる
という孤独の影が濃い者、その疎外されやすさから抜け出る方
法がいったいあるのだろうか。ネット時代なら可能だろうか、
・・・・・?やはり現実、こどくで疎外されやすい者はネット
でも同じ傾向にさらされる。

 人から忘れられて、だが何が損失があるかと云えば、利益も
得にはないだろうが、格別、損失も実はない。内面に自己を沈
着させ、あえて言うなら、精神の研鑽を積むチャンスを与えら
れたと思うべきである。人生が一度ということは、学ぶ機会も
ようはこの人生だけ、ということである。人に疎外され、友人
がないことを歎く必要はない。なすべきことは、いくっらでも
ある。

 人生は短い、短いがそこに詰め込まれる苦しみ、災難、悩み
は限りなく多い。長く生きるのが幸いでもないが、騙されたつ
もりで、苦しみに我が身を晒すのもまた悪くないと思うしかな
い。人から忘れられるなど、さしたる問題ではない。それこそ
が逆に幸いということである。

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