「脱皮できない蛇」でも生きる道はある


 images (2).jpg人は「有能」に憧れつつ、それ以上に「無能」に限りない
安らぎを覚えるものだ。生存競争に打つ勝つノウハウの本、
広義で云うならこの、より有能になるという本は溢れかえっ
ているが、同時に「無能の人」、「生きるのが下手な人」
、「大愚」というタイトルの本も確実にある。生存競争も、
正直、見切りをつけて安らぎの中に生きてみたい。現実、
勝ち続ける人間は少なく、むしろ負け続ける人間のほうが
遥かに多い、正直、近代社会、現代社会のガチガチな制度
の中でほとほと疲れ果てる、もし学校というものがなけれ
ば子供はどれほど幸福だろうかと思えてならない。私など
は不幸の圧倒的部分が学校での体験である。近代の強制的
な教育制度は幼い頃からひとを生存競争と不安と緊張の
世界に放り込まれ、イジメなどにもさらされるケースは実
に多い、そのトラウマは生涯消えることはないだろう。

 生存競争に適応できないということを、古来、「脱皮でき
ない蛇は死ぬ」などとも云われる。だがそれは本当だろうか?

 要は人間についての譬喩である、変転する現実に要領よく
対応できない者は生きていけない、それは常識的なことだろ
うが、ここで無能故に生き延びる、生きられる、自分の世界
を保つことが出来る、という逆の真実もあることも、また、
ある意味で常識である。無能は美、愚は純と考えてもいい。

 偉い人が古来、言い続ける「脱皮しない蛇は死ぬ」、それ
はビジネス社会のための言葉としか思えない。誰のために生
きるわけでもない、偉い人の御託などどうでもいいではないか、
生きるのは自分、脱皮できなきゃ自分の殻に閉じこもって自分
を磨けばいいだけである。蛇年のわたしである。

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