パール・バック『生きる葦』1965(学研)朝鮮民族の苦難を描く、ネトウヨには嫌われそう

三部作でノーベル文学賞、戦前のアジアでのアメリカの友好
国はフィリピンはさておいても、何と云っても中国だった。
だが連合国相手に、最後は世界中から宣戦布告された窮極の
嫌われ者となった日本を救ったのは中国の共産化だった。蒋
介石が中華民国で大陸を支配していたら日本の浮かぶ瀬はな
かった、・・・・・戦前の超親米の中国を描いたパール・バ
ック女史は戦後、日本の支配を受けた朝鮮民族を主人公にした
作品を1963年に発表した。『生きる葦』The Breeding Reedで
したがって日本人には至って不評な作品である。日本人に不都
合だから作品の価値が低い、わけでは毛頭ないのだが、草の根
保守の浸透する日本では日本以外のアジア重視は好まれない
のである。
端的に言うならば『大地』の朝鮮半島版といえるが、政治的
側面はさらに濃いものになっている。1881年から1947年までの
長きにわたる朝鮮半島を舞台にしたスケールの大きな歴史小説
である。
主人公は伝統ある朝鮮の貴族、金イルハーンとその一族で、
イルーハンの妻のスニア、独立運動家の長男ユル・チュン、
次男のユルーハン、その家族ら、恋人たち、ユルーホンの恋人
は日本人の荒木まり子、東学党員スンーホなおdという多数の
登場人物の三代にわたる歴史大河である。それがそのまま、朝
鮮近代史となっている、当然、そこに日本人は出てくる、植民
地支配の側だから敵役になるしかない。万歳事件も克明に描か
れる。
つまり朝鮮近代史は日本の進出、植民地支配の歴史、そのあげ
くの祖国分断、朝鮮戦争だから実際、散々である。したがって
結果としては日本の植民地支配、罪業の厳しい糾弾の書で、加害
は認めたくない日本では不評なホンということだろうが、それで
済ませていいのか、である。パールバックは政治的小説ではなく、
あくまえヒューマニズムの視点で今日ぢアナ植民地支配に蹂躙さ
れる弱小の民族の悲劇を描いたわけであり、優れた社会小説である
ことは間違いない。日本人に受けるかどうかは価値の基準ではない
のである。
高い歴史的文化を持ち「平和的な朝鮮民族が自由を冒涜され、
象徴的に云う、生きる葦を踏みにじられたことへの同情と怒り」
というコンセプトからの逸脱も、否定できない。アメリカ人が
日本人ほど『反省」の必要はないにせよ、政治的警告化している
点は文学としていささかの不純さはあると云わざるを得ない。
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