1969年10月の自衛隊の治安出動訓練(東富士演習場)、の模様、これが三島由紀夫の誤解を招いた


 自衛隊法では総理大臣の命令による自衛隊の治安出動、と
さらに都道府県知事による治安出動要請によるものがある。
警察力、その機動隊などでの治安維持が困難と判断された
場合である。自衛隊自体が以前は憲法違反の存在として否定
的に見られることが多く、つまり軍隊があったゆえにあれほ
どの戦争の悲劇を招いたという、まだまだ軍隊はこりごり、
という国民感情が強く、1960年安保の大騒乱、デモ隊の国会
突入でも自衛隊の治安出動は命令されず、回避された。

 自衛隊としては治安出動は本音でなんとしても避けたかった
のは言うまでもない。60年安保で自衛隊が治安出動を行わなか
ったことは自衛隊にとって大きな幸いだったと回顧する自衛隊
幹部は少なくない。

 しかし60年安保があの大騒乱で大学紛争は激しさを増すばか
り、70年安保はすごいことになる、とメディアも囃し立てるた
めか、自衛隊の治安出動がマジで政府幹部によって検討され、
その訓練が東富士演習場で1969年10月3日から行われた。

 取材した新聞記者によれば

 「もうもうたる黒煙、地響きを立てて驀進する戦車、空中で
停止したヘリからは迷彩服の空挺隊員が織りてくる。突撃ラッパ、
盾、自動小銃、擲弾筒に身を固めた武装兵、とまるでベトナム戦
争を見ているかのような光景で、陸上自衛隊第一師団による東富
士演習場での治安出動訓練である。10月3日からだった。

 元来、自衛隊の目的は外敵の侵入を防ぐことだが、70年安保の
改定時期が近づくに連れ、間接侵略への危惧がより大きくなった
ようだ。とりわけ重視は陸上であり、各種の治安出土訓練を行っ
てはきたが、同胞への作戦というので暗い冴えないイメージであ
り、いつもは演習場の隅っこでひっそり行われてきたが、今度は
動員された第1師団は、首都防衛の直接の任にあたる、部隊だそう
で、普通科連隊4、特科連隊、施設大隊、戦車大隊、など4000名
が参加、

 訓練がAビル奪還を想定ということ、『暴徒が800人、ビル街に
侵入、激しく抵抗、内200人は総理官邸や新幹線指令所があるAビル
に攻撃、立てこもった』というものだ。。

 暴徒役も自衛隊員、乗用車をひっくり返し、火をつけ、ぐれん
んぽほのお、古タイヤが燃え出す、それを蹴散らし、戦車は進む、
暴徒が遂に猟銃を乱射、部隊は催涙弾、で掃討作戦に、逃げ惑う
暴徒、時間では30分程度だったが、赤軍派に武器とか、大学生
の全共闘、警察機動隊など全く問題にならぬ凄まじさ、今後、
連隊規模、師団規模の訓練が続行されるという、よみがえる日本
の軍隊の一面だ」

 とまあ、これは自衛隊に体験入隊シていた三島由紀夫を錯覚さ
せた。現実の70年安保は拍子抜けで機動隊で十分以上、自衛隊の
出動は全く不要で、自衛隊にとっては幸いだった。

 市ヶ谷乱入の三島由紀夫

 「自衛隊の治安出動は必要なくなったんだ、これで憲法改正は
もう出来なくなったんだ、わからんのか、この理屈が!」

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 この理屈はわからない、何万回聞いても分からない、外国からの
侵略を防ぐことが目的の自衛隊が治安出動の必要がなかったから
、「もうこれで憲法改正はできなくなったんだ」と喚く、三島の
頭がおかしいのは明らかだったが東富士の演習を見たのだろうか?

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