山田霊林『忘れる技術、いやなこと、悲しいことをー』禅の妙機というものか
さんは駒澤大学総長の身分、曹洞宗である。いわば鈴木大拙
亡き後の日本の禅の代表者だった。曹洞宗開教総監として5
年間、アメリカで布教に従事したという、その生活から得た
であろう、新しい感覚で若い世代に会得しやすい話法で禅の
いわば妙機を説いている。なおKindleで現在は読めるようだ。
単に「忘れる技術」といえば安っぽい心理学の俗な本みた
いだが、このタイトルは実は適切ではないと思える。
例え話が多い、明治の高僧、坦山和尚が一人の友人の僧と
旅した。ある川岸に差し掛かると、一人の妙齢の女性が川を
渡れず困っている。坦山はいきなりその女性を背負い、川を
渡してあげた。そうしたら友僧が、「僧侶が女性に触れてい
いいのか」と咎めたら、坦山は「なーんだ、おまえはここ
まで女を背負ったのか」と大笑い、
とまあ剣の達人の逸話、柳生但馬守、山岡鉄舟が剣の極意
の達した禅の教え、・・・・・それを感心するかどうかは、
また読者の判断、感性であると思う。懇切丁寧に禅の極意に
導くという姿勢である。
禅についての一般的な啓蒙書は多い、正直反発を覚える
ような偽善を感じる場合もある。私はNHKブックスの紀野
一義さん「禅、現代に生きるもの」が愛読書だった。この
山田霊林さんの本はさらに手軽で新書判で最初は出た。
まあ、仏教を描いても水上勉の寺院への意趣返しのよう
な「雁の寺」とか、意趣返しではないが「沙羅の門」、
丹羽文雄の寺院内のドロドロ、『菩提樹」もある。禅の
綺麗事は真実か?とも私などは思ってしまうが、まあ、
それは置いておいて、だろう。
現実この世はイライラ、イヤなこと、不快なことに満ち
ている。私のように土俵外に最初から出たような人間でも
そうなのだから、現実に給料取りの宮仕えになったら、も
うよほど要領よく立ち回って会社を儲けさせないと在職も
出来ず、会社をやめて生きられる?とまあ、この世は本当
につらいことだらけだ。
「忘れる技術」とは誤解を与えかねないタイトルで、あく
まで「いやなこと、悲しいことを忘れる技術」である。
そんな技術を禅は教えるものなのか?執着、煩悩、
を忘れて理屈抜きにまず、座る。・・・・・ここから解脱、
解脱というと無限遠点みたいだが実は隣りにある、という
ことなのだろう。釈尊の「破顔微笑」のごとくに生きられ
る道を指し示す、といえば大袈裟だが、案外、深刻ぶらな
いことこそ、その道だろうか。
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