井上ひさし氏は本当にドモリだったのか?

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 あの井上ひさし氏、本当はさんづけしたいが、ひさし、が
ひらがなので、ひさしさんだと、どうも具合が悪い気がする
、だから井上ひさし氏、「図書」岩波書店の1978年2月号を
読むと井上さんが講演をされ、そこで「ドモリ体験」べつに
話のついでだが、話されている。でも、先ごろ亡くなられた
エリザベス女王の父親のように、死ぬほど苦労した、そりゃ、
よりにもよってイギリス国王という重責じゃ、想像を絶する
プレッシャだったはず、長く構想を温めて作品化したシンド
ラーさんが英王室に資料の公開を求めたところ、皇太后(
エリザベス女王の母親』は「あまりにつら過ぎる思いでなの
で私が亡くなって公開してほしい」気持ちは痛いほどわかる、
皇太后は100歳以上生きられた。サマーセット・モームとか
アーノルド・ベネットとかプリーストリーとか、イギリスは
有名人にドモリで悩んだ方が多い。

 で井上ひさし氏、講演でドモリ体験を語られている。でも
井上ひさし氏がどもったなんて聞いたことがない。羽仁進さ
んとか江崎玲於奈さんは放送などを聞いて、結構、つまる。
まあ、才能がある方はどちらでもいい、全く才能もないよう
な人間がどもりを気にして、勉強もそっちのけで矯正に明け
暮れたら、ただでさえバカ頭で才能もないのに、何も学ばず、
最低の人間に転落してしまう。これを最低というのだ。
 
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 井上ひさし氏の講演から


 仙台から上京したのは18歳のときですが、出てきた途端に
ドモリになりました。今でも、多少それが残っています。
なぜドモリになったかというと、今はテレビの普及、あるい
は交通機関の発達で、地域差がなくなり、どなたでも標準語
を操ることが出来るようになていますが、ぼくの言葉は南東
北の、専門的には南奥方言、いわゆるズーズー弁でした。
ですから、こちらの言葉が相手にほとんど通じないのです。

 あるとき、こういうことがありました。その頃、私は四谷
にあったカトリックの学生寮に入っていたんですが、アルバ
イトの口に一つ、ありつけそうになった。神父が四谷から立
川市へサイクリングに出かけたが、自転車を立川の教会に預
けて帰ってきてしまった。交通費と日当100円だすから、国電
で立川に行き、帰りは四谷までその自転車で帰ってきてくだ
さい、というのである。

 ちょっと臨時にしても変わったバイトでした。当時の自転
車は一段ギアでペダルも車体も重く、その神父はへばってしま
ったようなのです。

 僕は立川と四谷ではどう考えても立川が高所と思いまして、
即座にアルバイトを引き受けました。四谷から立川は坂を上が
るようなものだから、その逆なら長い坂を下ることと同じ、辛
い仕事じゃないと思いました。

 と計算したんですが、それでお金をもらって四谷に行きまし
た。ところが当時は、自動販売機なんてないんです。いちいち、
窓口で切符を合わなければなりまsねん。どころがどうしても
「立川、片道、一枚」が言えないのです。ドモリにすればタ行
は難関です。なた駅名を見てその次の駅を探しました。次は日
野でこれも云いにくいのです。日野の次は豊田、タで始まりま
す。その次は八王子、やはりだめ。で結局、甲府まで買いまし
た。もうアルバイト料は雲散霧消の赤字でした。単に損をした
だけでなく気が重くなって、自転車のペダルがやけに重く感じ
ました。

 でドモリの矯正をやりました。雑誌に「一晩で治ります」と
いう広告があり、そういうので案内を送ってもらうと、ひどい
講義録が送られてきたり、紙切れ一まで内容は「沈黙は金、で
きるだけ喋らないようにしましょう。喋らなければドモリませ
ん」これじゃ、何の助けにもなりません。で一時期、ソモリ
の人達が集まるサークルに行きました、日曜日にそのグループ
の人たちと歌ったり発音練習したり、

 ぼくはそのグループで、いろんなドモリの症状を見ました。
10年ぐらい前に「日本人のヘソ」という戯曲を書いて、その
グループの人達を取り上げtました。吃音症状は口だけではな
く、体でドモルひともいます。ある大学のサッカー部員、大事
な試合のタイムアップ寸前に、いいパスをもらった。彼の普段
の実力ならゴールできる状況でした、ところが彼はそのパスを
もらって焦って蹴りそこねたんです。それからその部員はシュ
ートしようとするたびに、脚がドモルようになった。また音大
のピアノ科の学生、ショパンを弾こうとしたらベートーヴェン
の運命になった。つまりで出しで手がどドモッてしまう。タイ
ピストも、・・・・・

 こういった同病同症の人たちと一所懸命に努力しました。
・・・・・・三ヶ月くらいやってますますドモリはひどくなっ
てしまい、もう切符も買えない、大学に行くのをやめてしまっ
たんです。(でも1960年、卒業されている)

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 なかなか深刻だったようだが、でも井上さんがドモっている
何て聞いたことはない、また教科書を授業で朗読はドモらなか
ッタと云うから、そこが私と大違いである。でも・・・・・
人間は才能だと思う、ドモル、ドモなないなんて、実はどうで
もよかったことだ、、と思う。私は家業が最高に汚らしく、
親も汚らしい趣味の人間で、誰も使わないような異常な人間ば
かり「雇った、金を出さなくていいからだ。それが私の人生を
台無しにした。

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