立松和『遠雷』1980、高度成長下の一風変わった農民小説か

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 わりとはやく、突然亡くなった感のある立松和平さん、よ
くテレビにも出られていたので私は社会活動家(無論、その
面はあったにしても)と思っていたが小説も書かれていた、
つまり作家だったのだが、どうも小説家としてみたら、何か
ケチをつける訳じゃないが、存在感がない、という印象を受
ける。書斎にこもらぬタイプだったし、そのイメージが強か
ったこともあるが。何かと問題も多かった。

 それで「遠雷」は代表作だろう、1980年の野間文芸賞受賞
作だ、受賞はどうでもいいが、悪くない作品だと思える。ニュ
ースステーションデの小林一義さんとの組み合わせ、同じ、
栃木県出身という縁もあったのか、小林一喜がなくなった時
の言葉が印象深い。なかば嗚咽しながら「小林さんが亡くな
って、本当に寂しい!」

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 立松は(本名が横松)「遠雷」以前、「村雨」を連載、連作
という意味合いのあるこの「遠雷」、前作の「村雨」、実際「
村雨」は不評だった気がする。だが「遠雷」は好評を持って受
けいれられた。

 栃木県宇都宮市、つまり北関東出身の立松が描くその地の
農民である。農民小説と云うと戦前の古いイメージの作品が
多いが、「遠雷」は高度成長下の1970年代の都市化の波に覆
われる新しいタイプの農民小説であり、瀕死の状態に陥った
都市近郊の農村の状態を、というのか実態を描いている。
光と影の高度成長下の農村お姿だ。

 高速道路や住宅公団の用地買収にかかった農村共同体が
どうあんるか、身近では高速道路にかかって大金を手にし
て豪勢な家を新築、そうしたら固定資産税が払えなくて困
っている、なんて話は聞いた。でも一般にはそのような、
買収で金を得た農家、高速道にかからず一円も入らなかっ
た農家の断絶など関心は持たれないだろう。だが、このよう
な農村の実相こそが重要なのである。

 別に自然回帰とか、ふるさと志向ではなく、そんな甘い
感傷ではなく、都市化の波、余波で崩れ去る農村共同体の
実相、柳田国男が云う常民の世界と云うべきか、「遠雷」と
は立松のそういう時代の流れへの緊急のモチーフが込められ
ている。

 だから失われる農民共同体への郷愁、哀愁、挽歌ではなく
、切実なモチーフの表現なのだろう。

 昔は小作農で貧窮に喘ぎ、戦後は土地所有、ど田舎の農地
では恩恵などないが、都市近郊なら想像もできない大金を手
にできた近郊の農地所有の農民、そこから生まれる荒廃、と
云って金が入って歎く必要はないだろうが。だが、虫食いか
ら徐々に崩壊の農村共同体をどう再建するか、これからも重
要にせよ、もはや固定資産税は住宅地域、準工地域だと宅地
並み課税だ。

 なかなか普通の作家が書けない農村、「常民」の土着の表
情をよくとらえているのは間違いない。

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