【地域の話題】福山から倉敷、岡山への買い物客流出が止まらない
もちろん、この三都市の配置、場所をよくご存じないと
いう方は多いはずだ、地元でなければ、まずそうだろう。
広島県福山市といって福山市は岡山県との県境に接してい
る、備後の中核都市である。端的いえば福山は岡山県の
延長のような地理的位置にある。広島県というと安芸の
広島を想起すると全く備後、まして福山は事情が違う。
明治維新後、小田県として岡山県西部と福山などの備後は
同じ県だった。福山市を広島県に編入自体に無理があった
のだがもはやどうしようもない。
福山、倉敷は中核都市、人口はそれぞれ46万人、47万人
以上である。岡山市は周辺と超大規模に合併してやっと政
令指定都市の要件70万人を超えた。
商業という点、特に大型店立地という点で1970年前ころ
から当時のNKKの製鉄所立地の好景気に沸いた福山市が先行
した。福山駅前にはデパートこそ地場の天満屋だけだったが、
ダイエー、ニチイ、などが進出、少なくとも倉敷は圧倒した。
岡山は天満屋本店、駅前に高島屋が立地、ただ大型店、SC的
な店舗の立地は遅れた。倉敷市に至っては駅前の古色蒼然の
光景で福山に劣ること、はるかだった。さらに1990年過ぎに
福山は駅からやや離れた位置に「福山そごう」出店、豪華店
舗だった。空前の豪華さ、だが福山駅前再開発の機運の中、
西町に出店、これが福山市を奈落に叩き込む要因となった。
福山氏は日東製網会長の小林、元参議院議員の力で駅前の
元町再開発を成功させた。また繊維ビル跡地も順調だった。
が肝心の期待された伏見町再開発は「そごうさんにすべて
お任せする」という再開発組合の決断が大失敗だった、そご
う経営破綻ですべてはゼロに終わった、そこであきらめず、
再出発し、天満屋をテナントとする案でまとまって着工寸前、
ディヴェロパーのアーバンコーポレーションが倒産、すては
水泡に帰した。以後、あきらめの状態で戦後の闇市が駅前に
そのまま残る。
そごう跡を天満屋が「福山ロッツ」を開業、なんとか順調
だったがこれも営業終了、大型店は消えた。
まだ福山そごうがあった時代、日本火薬跡地に天満屋が、
「天満屋新店」と謳っていたが広すぎる敷地、今でいうイオン
の超大型SCならよかったが、天満屋である。まず全国にも例
がない、また区同じような建物、同じような構成の小規模SC
が二つ並ぶという、無駄を象徴する立地で、天満屋とヨーカ
ドー、だがヨーカドーは撤退、あとに広島地盤の「ゆめタウン」
神辺町にフジグランはある、だがz念国区のSCもデパートも
福山から消えた。福山ほどの人口があってなぜ、こんな大型店
がない?と怪訝に思われるほどで駅前の荒廃は目に余るものが
ある。かっての面影はない。
対して倉敷は駅前を再開発、三越は撤退したが天満屋が移転、
北口にアリオ倉敷、三井アウトレット、
倉敷のイオン倉敷は建設当初、「イオンが社運を賭けた」と
いうほど大規模で、正直、素晴らしい。
岡山も大型SCはとぼしかったが駅近くにイオン倉敷を上回る
規模のイオン岡山が立地、「岡山にこんなSCができるとは、と
仰天のスケール」
もはや全国区のSC、デパートもない福山、イオン倉敷、アリオ
倉敷、三井アウトレット、またイオン岡山への福山からの買い物
客の流出がすさまじい、福山ナンバーは目立つ。。
よほど福山とは全国区のSC,大型店にとって魅力のない都市の
ようだ
都市対抗野球JFE西日本製鉄所は倉敷、岡山一体運用で都市対抗
も倉敷・福山両市の代表とされる、全国でも唯一の例だ。したがっ
手福山の消費者は倉敷への流出が顕著だ。
福山市は職員給与が高いだけが取り柄の無能の集団なのか、駅前
の戦後の闇市は永久化しそうだ。全国区の大型店進出の可能性も潰
えてしまった。もう投げている、ということだろうか。「のぞみ」
停車駅前があれでは、恥であろう。
これからも福山の市民は倉敷でお買い物を楽しんでください、さ
らに超スケールのイオン岡山にも、である。
イオンモール倉敷

福山駅前の闇市、伏見町

この記事へのコメント
10数年前からイオングループはマルナカを買収するなど一気に勝負をかけて来ました。その時、イオンに融資する金融機関が多いのだろうと思いました。