井上靖『流沙」1980,井上靖、中間小説の到達点、井上版「愛とは何か」

  20220225004279.jpg
 井上靖さんは本当にレパートリーの広い作家で、さらに
恐るべき多作だった。その中の重要な分野で男女の恋愛を
中心とした中間小説群がある、この傾向は歴史小説分野、
西域分野、自伝的作品などとも重なっているから、いか
にも中間小説というのは現代もので男女の恋愛を描いたも
の、数多い気がする。「憂愁平野」などもその凡庸な代表
だろう。で現代もの、中間小説の最終到達点が1955年に単
行本化された『流沙』だろう、毎日新聞に長く連載された
ものだ、やはり毎日新聞記者だったということで毎日との
縁は深い。1980年、井上靖さんが73歳である。

 それまで多くの恋愛小説、を書いてきた、それは中間小説
といわれるが、基本的に一貫した共通のコンセプトがあると
思う。『猟銃』における「白い河床」という言葉はそれを表
すかもしれない、私の誤解かもしれないが。ともかく、男女
の愛というものを世俗の夾雑物を可能な限り取り除いた純粋
な形で考えるということだ。

 例えば井上さんの恋愛小説では、裕福で子供がなく、立派な
夫を持つ美貌の人妻が登場、一見、何不自由ない生活ながら他
の男性に惹かれる、というパターンで井上さんはこれが本当に
お好きなようだった。だが病気、災難、途端の貧困などに阻ま
れることが現実は多いものだが、井上さんの中間小説、現代も
の恋愛小説はそうはならず、できるだけ純粋培養的な形で愛を
探求というものだ。

 愛の純粋培養は小説ならいいのだが、はて、リアリズムという
点で疑問は湧く、だがそれを誘発しているのは詩人的資質である
と思う。

 『流沙』は毎日新聞に長期連鎖されたものだ。昭和40年代は
『夜の聲』を毎日新聞、私は期待して読んだがかなり悲惨だった。
だがこの時期、1970年代後半から、真に洞察が深化している。
その結晶が『流沙』で井上さんの長々とした現代もの、恋愛もの
となると、「またか」と思って毛嫌いする人は多いと思うが、読
む中間小説ならこれである。

 娯楽性は捨て、人生のテーマをじっくり検討しているようだ。
ここで70歳を超えている井上さんは、あらためて「愛とは何か」
を探求する決意を持たれたようだ。蓄えた人生の経験、教養の
洗練、惜しみなく注がれている。

 ストーリーは、左門東平と章子の結婚式から始まる。れいによ
って奇妙な名前だが。東平は37歳の考古学者、ボン大学に籍を置
き、中東の沙漠で遺跡の発掘を行っている。章子は28歳のピアニ
スト、長くパリで音楽修行を続けている。二人は友人の紹介で結
婚する。二人とも当分は別居でボンとパリに住む。スイスの教会
で挙げて、二人は中東に一週間ほど新婚旅行に出る。旅の5日目
にパリから電話があった。著名なピアニストマリーニが演奏会を
開く、と。章子はこの演奏会を聴くためにパリに帰りたという。
二人の間は険悪になり、章子はそのままプイとパリに帰る。

 その後二人は手紙で離婚の意思を確かめる、だが世間体もあり、
一年後のインドのダージリンで再会し、離婚の手続きをすると
約束する。だが一年後も章子が姿を見せず、結局、名ばかりの
夫婦が再会したのは二年半後である。その間、東平は中東の沙漠
で遺跡の発掘、章子はピアノの修行でこの二年半は二人が愛を考
える期間でもあった。

 愛といえ、プラトニックであり、空いた惚れたでもなく、互いに
自己主張する二人の男女の精神的な結びつきの可能性としての愛、
なのである。別に実現を阻む世俗的な事情はない。愛の純粋培養は
可能なようだが、その探求のうち、さまざまな愛の形が噴出してく
るわけである。東平のもう死んだ昔の恋人、侑子は奔放だった、だ
が沙漠で亡霊として東平の前に現れる。あれこれあって、二年半で
二人のここrは徐々に融和し、愛に目覚める。東平にはそれは沙漠
に湧く泉であり、遺跡の洞窟でしたたり落ちる水滴であったし、章
子には奈良で見た仏像や塔、フィレンツェでの聖歌隊の合唱、その
響が愛に目覚める契機となる。

 井上さんは晩年は古美術、沙漠の遺跡に関心があってそれがこの
恋愛小説に投影されている。だが正直、このような恋愛小説を延々
と書くのはいいが、読むとなると、付き合っていられない、という
気持にもなると言わざるを得ない。井上さんの中間小説の到達点で
も読者が楽しめる作品とは思いにくい。滑稽なまでの上流階級趣味
に沙漠遺跡趣味が「白い河床」コンセプトで延々と、中間小説とし
て井上さんの到達点ではあるが、読まれないのは仕方ない気がする。

この記事へのコメント