老けるヒマなどないが、現実、老けていく
私が子供時代、高校生時代でもいい、60歳定年制の教員で
も、定年かなり前でも本当に老けた人物が多かった、校長な
ど、今から思えば、あれで還暦以前だった!と驚愕である。
老ける老けないは、個人差そのものだが、少なくとも自分自身
はあまり老けない、若い外見のつもりでも、徐々に、まあ、そ
れは仕方がないことである。だが昔、古希といえばもう老人そ
のものだったが、最近は若く見える人は若い、ただどうしても、
それなりである。
ぼやいてみても始まらないが、人生の短さである。短いこと
は、昔、電卓で1+1=2からはじめ、+1を繰り返したら、
瞬間に100になる、小学一年時代、互いに100まで数えっこしても
瞬間だ、要は100年なんて瞬間なのだが、そこに詰め込まれる悩み、
苦しみ、災難はまるで苦難の中性子星みたいに短い時間に際限なく
凝集する。生まれてこの世を見させていただくことの、いわば「
しっぺ返し」は大きいということだ。割に合わないとも思える。だ
が人生は短い、この中でさらに中年くらいまでに秀でた業績を残す
などよほど才能に恵まれてまた環境にも恵まれないと無理だと思わ
ざるを得ない。
大体私という人間、小学一年からすでに無能さがあらわだった。
小学一年で何か随分と人より劣っていると思わざるを得なかった。
同時に、記憶も定かでない頃から「母」が私を真底憎み、殺意を
抱いていた。まだ4歳になるかならぬかの子供をあまりに虐待す
るのを見かねた叔母が大阪のアパートに私を預かってくれたほど
である。「母」は世界で最も私を憎んで苛め抜いた、脅しつづけ
た人間だった。ただでさえ才能もないのに、環境が最悪、親も異
常では落ち着いて勉学などで出来ず、成績も不振、受験結果も全
く不満足に終わった。だから人生は後れを取った、だから学ぶの
これから、今までの無駄な時間を取り返したい、だから老けるヒ
マなどないが、無駄に過ごした時間が多すぎる、取り返すには、
さらに生きねばならぬ、だが、現実は厳しい。才能のない人間は
時間が必要、老けるヒマなどない、だが、現実は、である。老け
るも老けないも、人の命なんて明日もわからないものだ。だが幻
想でも生き抜かねばならない、本当に生きることは」難しいわけ
である。
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