水上勉さん、池田勇人総理に「身障者対策」要望の公開質問状、丁重な返事が中央公論に掲載される

  87332_1961.jpg
 これも歴史上、というべきか有名な出来事である。また
宏池会の池田勇人首相のリベラルぶり、それは大平正芳首相
にもつながるが、その誠実さも明らかになったといえる。

 昭和38年、1963年5月24日の閣議で「拝啓、水上勉殿」とい
う文章を雑誌『中央公論』に投稿することを決定した。作家の
水上勉さんが同誌に「拝啓、池田勇人総理大臣殿」と題しての
、身障者を子供に持つ親の気持ちを込めてその対策を要望する
切々と綴った質問状を寄稿したことへの返事であった。

 それを知って、東京のホテルに小説執筆で缶詰め状態だった
水上勉さんはいたく感激した。

 「娘が脊椎破裂という宿命を背負って生まれるまで、日本に
はこんなにも多くの不幸があると、私は知らなかったのです。
障害のある子供が将来どうなるのだろうか、私は愕然としまし
た。身障者の受け入れ態勢があまりに貧相だったからです」

 水上家の女児が生まれたのはその二年前、昭和36年、1961年
の9月であった。その一か月前に水上さんは『雁の家』で直木賞
を受賞している。創作依頼が多く舞い込み、旅館住まいで執筆に
専念していた。

 生まれて四日目、やっとヒマを見つけて赤ん坊と対面、新生児
室の片隅のガラスの保育箱の中で眠っていたが、脊椎破裂で背中
の骨が多きく飛び出す難病をすでに持ち、大きな肉腫が飛び出し
た箇所にできていた。非常にまれな病気で手術も無理だろうと、い
うことで放置されていたのである。だが手術はかろうじて成功した。
直木賞受賞を記念して「奈央子3」と名づけられた。いまは父親に
微笑むまでに成長した。歩行困難、両脚不随の障害は変わらない。

 水上さんは

 「私がこんなに数多くの原稿を書き始めたのは、娘の手術代や
医療費、を稼ぐためでした」

 文壇デビュー後の水上さんの年収は2年目、345万だったが、翌年
には2150万円、さらに1963年は3400万円に上った。大変な収入で
ある。

 水上さんは


 「お陰でひところは月に80万円も医療費がかかっていたんですが、
どうにか娘も退院できました。でもこの娘の将来を思うと暗澹たる
想いに襲われました。身障者が入る施設はないに等しいのです。
親が面倒を見なければなりませんが、作家も水商売、私が倒れたら
その日から収入は途絶えます。娘のためにどこか日当たりのいい、
空気のきれいな場所に家を建ててやりたく思いますが収入の3割も
所得税で引かれたら、どうしようもありません」

 「小さいころから、貧乏な家に育ち、禅宗の寺に小僧のやらされ
ましたが、小僧がいやでその寺を飛び出して以来、12歳ころから、
ひもじい赤貧の生活でした。放浪の日々でした」

 麻雀屋の店員、役者、代用教員、業界紙記者、洋服の行商、など
35種類もの職を転々とした。やっと念願の作家となったが過労もあ
って「背中に二つの瘤をつくり、四年前から痔疾に悩み、手術、ま
た歯槽膿漏、など体調は最悪だったが必死に書いた小説で得た金」
も三割以上が税金に取られる。その金が正しく国民のために使われ
ているのか気になるという。

 推定だが身体不自由障害児は12万人以上、水上直子さんのような
重度の障害児も3万人以上とされる。だが公的な施設は国立秩父学
園だけ、あとは篤志家による島田療育園(東京)と琵琶湖学園くら
いなもの、わずかな収容人数である。

 「いっておきますが、総理大臣、私はあなたより所得税を多く
国に払います。しかし私はあなたよりはるかに貧乏です。私ばか
りではなく、孤独に働き、多額の納税で文句も言わず納め、まじめ
に生きている人の多さを思えば、・・・・家の隅で歩けない子が
隠れていることを思うと・・・・」

 「総理大臣、どうか、身障者の身でありながら、、必死に生き
ようとしているたくさんの子らのいることに思いを馳せてください。
来年からどうか、この子たちのためにできるだけの予算を費やし、
施設を拡大してあげてください。大勢の気の毒の子らとその親たち
を代表して、心よりお願い申し上げます」

 最後に「拝啓、池田総理大臣殿」

 直訴状に動かされるなど、浪花節的、こういう政治のゆがみは
本来、国民を代表する議員などから要望されて実現されるべきだ
が、民意の反映が現実、行われるシステムにはない、という自戒
というか批判もある。

 返事は「拝啓、水上勉殿」、これが官僚の作文に終わるかどうか
が注目されたのは事実だ。

 「私はもう小説で遊びでの殺人など書けなくなりました、娘が
見ていますから」

 実際、障害の子供を持った親の気持ちは切ない、どうあがいて
もまず親が先に死ぬのだから、子供を置いてである。水上さんの
気持ちは永遠に真理でありつづける。容易な道ではないが。

この記事へのコメント