宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、農民の視線での民話の章が白眉
この本は1961年、昭和36年に未来社からまず出版されて、
その後、、現在は講談社学術文庫から出ている。・・・・・
歴史は庶民、と言って少し前までは庶民とは農民といって
よかった日本である。その庶民、すなわち農民レベルで歴史
が語られているだろうか、無数の底辺に生きる人々、まさに
底辺の圧倒的中核は農民であった。その歴史となると今や、
ますます興味も関心もあまり惹かない。いわゆる農民研究家、
農村指導者とされる人々も大半はインテリ層であった生まれ
つきの農民の目で、視点でモノを見て、考えるケースはまれ
だろう、柳田国男、宮沢賢治、にしてもだ。この本は執拗に
徹底して農民視線、視点である。
著者は山口県の大島という島、とくに小島ではない、現在
は本土と架橋されているほどの利便性は高い島と思う。ただ
し架橋はあまり昔に、ではないと思う。著者は大島に生まれ、
育ち小学校の教員をやり、のちに祖父の業である農業に従事
し、その仕事の傍らで民俗学、特に民話、昔話の研究をされ
た人である。民族がの対象は庶民である、まずそれは農民と
なる。また林業、漁業も無論、含まれる。いかにも農民の
体臭を感じさせる。泥臭さがある。私事だが、大学時代、
医局だが、大島の方で長年、口腔癌を患っていた方を受け
持ち、最後を看取った。
山口県大島
序文で女の座について興味を寄せているが、内容全体では
それはほんの小さな意味しか持たない。民衆の簡単な歴史を
書き出しに、人口問題や出稼ぎをメインとして最初の章が終
わる。あくまでも自分の体験に依拠した、自分の目と足で確
かめたものを基本に置く。これはこの本を貫くものだ。
村々の変貌、とくに山村に住み着いた人の動機や歴史、そ
の後の変貌、米良紀行、芸北紀行はなかなかいい。
だが圧倒的に重みがあり、大きな問題を提出しているのは、
「民話と伝承」の章である。正統派的な民話と、伝承について
の柳田国男流の説明の後で、著者はそれとは異なる木下順二
流も民話についての批判的意見を述べる。その批判は農民の
側からの意見として重要さを持つ。
だが正統派と称するものはかなり保守的で、せっかく新た
に伸びかかった民話への興味とエネルギーを無にしてしまい
そうな非常に反動的な動きが当時は顕著であったようだ。
終わりに「底辺の神々」としてオシラサマやキツネ憑きな
どの一連の民衆信仰があり、それにつながるものとして新興
宗教があるとする。著者の土着としての農民としての性格と
、民族学を研究する性格との混在がこの本の基本的な特徴だ
ろうか、だが長所は短所にもなり得る。全体としてその二つ
がしっくりとは調和していないような気がする。あるは破綻
しているといえるかもしれない。やはり方法論の吟味が十分
になされたとは言い難い。
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