広津桃子『春の音』1972,広津和郎の娘、無類に温かい人間性と愛情
広津桃子さん(1918~1988)広津和郎の娘、祖父の広津柳浪
から作家三代の最後を飾った、四代目は出なかった。幸田露伴
の娘の幸田文さん、ほどに作品数は書けなかったが、その作品
の人間理解はさすが、である。ほぼぼのとしたきめ細かな情感
あふれ、温かいものだ。
父母が別居したため、幼いころから母親のもとで兄と二人で
育った広津桃子さん、女学生になって初めて父親のもとを訪ね
る場面、
「語らねばならないものを持って、私は訪れたのではなかっ
た。ただ、肌にじかにくる父を捉えてみたかっただけなのである」
「制服姿の娘」の「不意の訪問」を受けた父親は「とまどいと
も見える微笑を浮かべ」て娘を招き入れ、やがて二人で珈琲を飲
みに本郷に出かけ行く。さりげない秒差だが、何気ない会話のや
りの中に、四十代の広津和郎の風貌と、娘としての著者の人柄が
にじみ出ているようだ。
そのような描写は、そのとき「おばさん」に初対面する情景に
も生き生きと描かれている。その筆致と桃子さんのこころ柄は、
作品に一貫して流れていて、「おばさん」の最期を看取るラスト
の美しい文章に至る。
これは作品集であり、登場人物は実の母親を除けば、父方の
祖父の広津柳浪、ちゃきちゃきの江戸っ子の母方の祖父も、
二十代でこの世を去った兄も、下宿屋をしていたころの学生た
ちも、すべて故人となっている。桃子さん自身の言葉でいうなら
、「あちら側ばかりで、こちら側に人がいなくなる」身辺の寂寥
が桃子さんの温かくも鋭い人間理解と深い愛情で描かれる。それ
らが別に「肉親」とか「親族」などという意味ではなく、もっと
広く深い人間そのものへの温かみになっている。
何よりも感じるのは「歳月の流れ」そのものが、その流れに
伴う四季風物への繊細な感受性とともに、「慈愛」が作品全体を
美しくも寂寥に満ちたものとしている。
四代目は生まれなかったが、広津和郎にも『同時代の作家たち』
とか友人知己を語って心打たれるものがある、これは祖父の柳浪
から伝わる作家三代に流れ、受け継がれた美しい感受性というべ
きだろう。
この記事へのコメント