三島由紀夫は事実上の徴兵忌避とその後


 三島由紀夫の本籍地での徴兵検査が実際どうであったのか、
かって雑誌『噂』に掲載された「三島由紀夫の隠された家系」
にも徴兵検査の模様が証言を交えて述べられている。だが、
そこの述べられた徴兵検査が真実かどうか、なぜなら三島由
紀夫の「風邪をこじらせた」状態が全く述べられていないの
である。そのライターとて現場を見たわけではない。

 ダイヤモンド社からの『三島由紀夫の死と真実』ヘンリー・
スコット・ストークスの記述それと何か日本の資料から転載
したものだろうが、軍医の問診に意図的にウソをつき、まんま
と徴兵を逃れた三島由紀夫を書いている。

 1944年5月に本籍地で徴兵検査だが時期的に風邪をこじらせ
る、時期とはどうも思いにくい。

 ストークスはこう書いている

 「夜行列車で関西に向かう途中、工場で引いた風邪がこじれ
た三島は、志方についたときは高熱で立っていられないほどだ
った。

 知人(註:三島の世話役を頼まれた村の有力者)宅に一泊、
大量の解熱剤を服用し、翌日入隊検査に言ったが、丸裸で待た
されているうちに何度もくしゃみが出た。若い軍医は気管支の
ゼイゼイという音を結核のラッセル音と誤解し、そのうえ問診
で三島のでたらめな申告を鵜呑みにして・・・・あれやこれや
で軍医は背肺浸潤と診断し、即日帰郷命令、門を出た三島と父
は一目散で坂道を逃げていった。」

 だがここで期日、というか季節が食い違っている。

 帰途、大阪の詩人、伊東静雄を訪問

 その夜、日記で伊東静雄は三島由紀夫を

 「俗物である」

 と印象を書いている。


 「仮面の告白」より

 「何だって私はあのようにムキになって軍医に嘘をついたのか?
何だって微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方
がないと言ったり、血痰が出たといったり、ゆべも寝汗をかいたと
いったり、何だって私は即日帰郷を宣告された時、隠すのに骨がお
れるほどの頬を押す微笑を感じたのか、何だって私は営門を出ると
、あんなに坂道を駆けたのか?」


 とにかく兵役を逃れた、運動神経ゼロの三島なら飛行機に乗れと
も言われないだろう。もし現実に日本の軍隊を経験していたら、あ
ないような行動を取ったはずはないだろう。

この記事へのコメント

和田
2022年11月16日 11:50
NHKで放映された三島と東大全共闘との討論会を見た。演劇専門という論者が「あなたは天皇への一体感を求めている」との意見に三島は同意した。天皇イデオロギーは統合された起源譚=権力的に編成替え・体系化された伝統的支配の論理であり、起源と起源の未来に渉る連続性を絶対化している。 レジテマシー正統その中でも血縁的系譜の正統性(血縁序列であり、合理性・妥当性を核とする正当性論議を拒絶する)がイデオロギーの核心だが、潜在的な反対勢力に対しては血縁擬制的似而非平等感を用意する。殷の時代のイデオロギーであった血縁擬制序列を天皇から住民全体にまで覆うものであった。行政側は序列を顕教とし、その根拠としての起源及び連続性を重視する。血縁序列であり、連続性でもある。それに対して朝日平吾・北一輝・井上日召・三島等は顕教から眺めて異端である(異端でもあり、補完でもあった)血縁擬制と一体性を顕教への対抗軸として持ち出した。顕教に比べて部族イデオロギー、アニミズム、シャマニズムとの近縁性が強い。 彼らは世界的にみても近代人から遠い。