アンソニー・スカデュト『ボブ・ディラン』1973,読みにくいが、ボブ・ディランについての不朽の古典

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 「ノーベル文学賞」などを受賞!し、自由なるべきディラン
が世俗!に汚染されたと歎いた人は多かったものだ。でも時代
的にはどうか、ガロの「学生街の喫茶店」に出てきたくらいだ
から、そのボブ・ディランを描いて古典的な名著だろう、京都
大学の入学式でも学長が祝辞でディランの歌詞を引用、ジャス
ラックがクレームをつけた、とかいうほど世俗的効果のあった
ノーベル賞!だが、これぞディランに不似合いだった。


Anthony Scaduto

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 ボブ・ディランが19歳でヴィレッッジに出て名を広めたのが
1961年ころ、彼はアメリカンドリームを至上の価値とする伝統
的な中産階級の親たちから最も嫌悪されるような若者だった。
だがその親元で育ち、親から離れようという世代は違った。ハ
ンク・ウィリアムズ、ビル・ヘイリー、さらにはジェームス・
ディーン、プレスリーらを偶像視した世代にはボブ・ディラン
は神話になり得たのである。

 だがその神話は、ボブ・ディランの内部から生まれたという
のが著者であるスカデュトの見解なのだ。

 「自らを神話で覆い隠しているような者は、その神話を十分
に発揮させるための魔力が、自己の内部にあると信じ込まねば
ならない」というのである。

 ディラン伝説の多くはディランの言動から出ている。「どう
しても馴染むことが出来ない世界に反抗するジェームス・ディ
ーンの孤児的」イメージや、家出、警察による補導、再度の家
出、その挙句の放浪とクスリ漬けの青春彷徨、まさにアウトサ
イダー、あのコリンウィルソンのいうアウトサイダー的なボブ
少年にまつわる多くのエピソードも「自分を溶解し、見えない
状態にする」ための「ある方法で、自分を消してしまうことだ
った」とし、それによって「定期的にディランは新しいい仮面
、マスクを開発せねばならなかった」

 この仮面、マスクこそがディランの魔力である、様々な神話
や伝説を作り出した。著者は神話そのものより、その重圧に逆
に苦しむディランの一人の若者としての、プライベートな人間
性に関心を注ぐのだ。

 この本はいたってアメリカ流のジャーナリズムの手法で丹念
にボブと接触した人たちの証言を集め、年代的に構成し、ディ
ランの核心に迫ろうとする。その中からイデオロギー性や社会
変革への情熱を否定する。ただただ時代とともに悩み苦しむ、
「安易な定型化や安易な解決を拒まねばならず、かわりにひた
すら内的自我の探求という感情」というディランは常に「新た
な自分を創造」したとみるのだ。それがディランの「個の自由」
パーソナルフリーダムだという。

 この「個の自由」にディランが目覚めるくだりは、1964年以降
を述べた章、「ミスタータンブリンマン」から盛り上がる。この
時期からかって少年時代、心酔したロックンロールへの回帰だっ
たということらしい。以後、ますますディランは脱政治になった
のは明らかでより詩人らしくなったのである。

 ディランの自伝もあるが評伝として、資料証言を駆使したこの
本は貴重である。端的にいうなら「偉大なる自由人」への道であ
る。

 ただ内容は膨大で多くの証言が盛り込まれ、それがアンソロジー
を形作る。しかし英語の本の翻訳もあり、本当に読みやすくない。
だが「ディラン伝説」の奥底を考えさせてくれるキカッケにはなる
とは思う。

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