幸田文『闘』、「死」と対峙する人間像、「結核」病棟ではやや時代錯誤だった

いきなり『闘』というタイトルを見れば、漢字一字の
作品名を愛用した綱淵謙錠を想起させるが、あの幸田文さん
の作品である。つまり「闘」とは「闘病」の「闘」なのだ。
作品評などには「結核には特効薬が発見され、もはや死の病
は過去の話だが」とかいう物が多い、だが実を言えば、たし
かに「抗生物質」はあるが「特効薬」とはいい難い、要する
に栄養状態の改善で結核の発病が減ったに過ぎない、のだが、
そのあたり、どうも世間には誤解があると思える。
とにかくこの作品は結核との闘病だが、別にしと向き合う
病気は現代でもいくらもある。昔は貧しかった、貧困の現れ
、低栄養が結核の蔓延を生んだ!ま、それはともかく以前は
死の病と恐れられた国民病たる結核、トーマス・マンの「
魔の山」、病気と死が支配する魔の山を描いている、原題は
「サナトリウム」、
さて、この『闘』の舞台は武蔵野のサナトリウム、「生より
死」に親しむ人が多い。『婦人之友』
に昭和40年、1965年に
連載されたという、からもう「結核は死の病」という時代では
なかったはずだが、中年までの人が見れば、「あの頃はまだ」
と勘違いするかもしれない。ただ年間死者数では結核は上位を
まだ占めていたかもしれない。
だからもう過渡期を過ぎて、もはや「死の病」でもない時代
だったから幸田文さんも
「この十年のうちに結核という病気も、それを病む人の姿も
すかkり変わりました。これを書いた当時、もし結核を借りて、
病む人の悲しさを描けたらと、気が走るあまり、闘などという
題名をつけてしまって、その気負いが恥ずかしゅうございます」
ということである、今なら、死にた対峙の病?いくらでもある、
肝臓病でも人工透析、ガンでも多くの難病、いくらもありそうだ
が。
ともかく幸田文さんのそのような創作意図で書かれた作品、や
や時代背景が当時でさえ実態上に古めかしく、幸田露伴を彷彿と
させる。
左官の喜助は、結核専門病院に行き、診断を下されるまで喀血、
「生」への奉仕者ともいうべきヒューマンな谷医師の第二病棟に
担架で運ばれる。ここから始まるのだが、・・・・・まあ、幸田
文さんの代表的作品『流れる』にも別に取り立ててストーリーが
ないように、この作品もさしたるストーリーはないようだ。
主人公は?結核闘病10年の病院の主的存在、の38歳の別呂省吾、
いくらなんでも「別呂」なんて妙な名前をつけなくてもいいのに
と思ってしまう。で省吾は
「病気が省吾を睨めば省吾もひるまず、じいっと病気を睨み返
す。凄い気迫だ、病気を斬り殺すとしている」
でも私は、病気も悪くないよ、身のうちだよ、まあ、仲良くや
ろう、とも思ってしまう。私は腎臓病だから、
別路は親族も縁者も金はない、死を抱え込んで生きる人生の達人
だ。この主人公に幸田さんの気持ちも託されているんだろうか。
冷淡とされていた省吾が喜助の死を聞いて、紙を花弁状に切って
餞とする。省吾は、死は敬虔なものだという、入院患者は様々、
ヒステリーやお天気博士、治っても社会復帰出来ないと思いこむ少
女、妻に会うため柵を超えて脱出する山陰の医者、平気な顔の元
裁判官、・・・・・
これを結核と思うと、幸田文さんは時代的に判断を間違えた気が
しないでもない。まだこの本は新品で手に入る?ようだ。ガン病棟
にでもしたら、といって安易に書くべき素材でもない気がする。別
に安易ではないだろうが、『恥ずかしゅうございます」は正解だ。
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