「アクセルとブレーキの踏み間違え」の大陰謀がなぜ行われたのか?

行政とメディアの大合唱、さらに行政に逆らえないメーカー
まで完全同調しての「暴走」は「アクセルとブレーキの『踏み
間違え』」の勢いはとどまるところを知らない、何度でも云う
しかないが、
アクセルペダル、とブレーキペダルの「踏み間違え」は常識
的に考えれば、ブレーキを踏むつもりが「アクセルを踏んだ」
という意味にしか取れない。なら
その前の状態がある、前の状態は「アクセル踏んでいた」と
考えるしかない。それまでブレーキを踏んでいて、さらにブレ
ーキを踏もうとして、アクセルを踏んだ、は現実ありえないか
らである。
なら、それまでアクセルを踏んでいて、ブレーキを踏もうと
思って、一度、アクセルから右足を離す3.どちらも踏んでい
ない状態がないと「踏み間違え」、「位置の錯誤」とは言えな
いことも明らかである。その次に、また同じ位置でアクセルを
「踏み間違え」で踏んだ?
それが「踏み間違え」であるし、だが、このようなことがあ
り得るだろうか、「位置の錯誤」でアクセルを踏んでいったん
は右足をアクセルペダルから放し、同じ位置のペダルを踏む。
わずか二つしかペダルがなく、ブレーキペダルは非常に大きい、
足先が触れた瞬間に違いに気づくし、運転でおいてペダルの
位置についてはドライバーはすべて本能的な感覚を植えつけら
れている。
ならペダル数がオートマより多い「マニュアル車」でこのよう
な暴走が実際、まず生じないのはなぜか、こじつけで説明?して
いる自動車評論家がいるが全くの行政に媚びるためのでたらめで
あることは明らかである。
要するに、世に偽りで「踏み間違え」とされるものは、古来
あったオートマ事故そのものである。
つまりクラッチで駆動力の断続という操作がないオートマ、
2ペダル車は
アクセルをただ踏めば、ドーンと出てしまう。マニュアルの
クラッチ操作、半クラッチという手順がないオートマは、とに
かくアクセル操作は暴走の危険と隣り合わせである。
さらにフト操作が大幅に省けるオートマ、それが利点だから通
常はDのままだから、「不注意」でアクセルを踏む、無意識的に
踏む、また例えば駐車場上料金を払おうとして右足がアクセルに
触れて、暴走してしまう、
結局、「アクセルとブレーキの踏み間違え」と行政、それに
翼賛するメディアのいう事案の実態は
オートマ車に特有な「オートマ事故」そのものであり、
原因は アクセル操作の誤り、 ①踏みすぎる
②無意識的にアクセルを踏む
③間違って右足がアクセルペダルに触れてし
まった
以上である。
したがってオートマ車パーキングブレーキが重要である、パー
キングブレーキで②、③は暴走に至らないが、
電動パーキングブレーキは「アクセルを踏めば解除される」か
ら暴走抑止の砦が消え去ったわけでらう。
さらに
「アクセルとブレーキの踏み間違え」
ではメディアによる
意図的なプロパガンダのためのピックアップ報道が行われてい
る。同じ暴走事故でも「、若年、壮年でも起きているのに「高齢
車」の事故しか報道しない。これがプロパガンダの中心でもある。
つまり「アクセルとブレーキの踏み間違え」は非常に念入り
に練られた、メディアの完全協力を得た陰謀と言って何ら差支え
はない。
つまりオートマ車の徹底優遇政策が暴走事故の多発と一体である
ことは明らかである。
最初は排ガス有毒成分といい、次に燃費、と言いながら次は脱
炭素ドグマ、・・・・・・「環境」を口実として結果はますます
オートマ優遇となる。
そのオートマ比率の急上昇こそが暴走事故の多発の原因である。
それはメディアの報道と一体である、・・・・
それはオートマ車の増加は人間工学的な欠陥を持つ2ペダルに
よって暴走事故増加は必然となる。
それをもたらして行政、つまり国は何を目論んだのか、
それは暴走をを「踏み間違え」によるものとし、精神病名である
「認知症」を免許更新要件に極度に大きく取り入れ、精神病名と
高齢を次に一体化し、「高齢者講習」、技能検定となった。それら
はメディアの「高齢者は危険」というプロパガンダ報道で完全に翼
賛されている、あまりに露骨は愚民化だが
、
優生思想の行政施策、国家的判断への再度の取入れ、
これが目的である、順序を逆に辿れば「踏み間違え」キャンペーン
へ至るわけである。
国による、「アクセルとブレーキの踏み間違え」の捏造、キャン
ペーンな国の優生的施策の維持、メディアの大衆操作、世論操作と
いう重大な社会学的問題、国とメディアがいかに国民を愚民化し、
単純な真実さえ隠蔽するという、重大な問題を持っているわけであ
る。この問題は国が明らかな荒唐無稽を完全にプロパガンダ化し、
そのキャンペーンを行い、既成メディアは常にその最大最強の道具
となってその荒唐無稽なプロバガンダを繰り返し、大衆を思考停止
に追い込むという近代社会の病巣がますますエスカレートし、尖鋭
化しているかを示すものである。それは世界的に進行中の巨大な、
あまりに大仕掛けな洗脳の、国内での国民の思考停止、愚民化の、
いわば、露払いという意味を持っている。
この記事へのコメント