J・P・サルトル『悪魔と神』戯曲、Le Diable et le Bon Dieu (1951年6月7日初演)ドギツイ手法は悪くない

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 さて、サルトルの戯曲、過去に舞台を設定し、本音は現代
の風刺、問題提起である。もう古書で入手かな、1951年に
フランス『現代』誌に3回連載されたという。早速、パリの
アントアーンヌで上演されたそうだ。

 原題は

 Le Diable et le Bon Dieu (The Devil and the Good Lord)

 舞台は宗教改革と農民戦争の16世紀のドイツである。貴族
の私生児で傭兵隊長のゲッツは、その武名と悪名を全ドイツ
に轟かせていた35,6歳の男である。

 第一幕ではヴォルムスの街を包囲し、住民を絶望の淵に追
やっている。彼は街を占領し、焼き払うことを主張し、一切
の和議の提案、申し出を斥けるが、奇怪なる妖僧のハインリ
ヒと神学的議論を行っているうちに「神の責任を試みる」た
めの賭をし、それに負けてしまったために住民の生命を保証
し、自分も善への改心を誓う。実は彼がわざと負けたことを
恋人のカテリーナは見抜いてした。

 第二幕で善を行うと決意したゲッツがまず土地を農民たち
に分け与えて、「愛」を基調の共産主義的コミュニティー
の楽園、「太陽の街」を作ろうとするが、ゲッツ自身は農民
たちを愛せないことに苦しみ、同時に農民たちも彼を信頼し
ない。農民は動揺し、ついには暴動を起こし、教会は迷信を
利用してゲッツの思惑を妨害する。カテリーナは悲惨な死を
遂げる。絶望したゲッツは自ら手を下し、聖痕を身体につけて
「奇蹟」をなした。この二回目のインチキで、一挙に農民たち
を心服させることが出来た。

 第三幕では「太陽の街」は順調に発展を遂げるが、周囲で
は農民戦争が起きていて、「太陽の街」の住民たちは、その
平和主義の信念から戦争に同調せず、みな虐殺されるゲッツ
は農民出身の愛人ヒルダとただ二人生き残り、神など存在し
ないことを確信し、、「人間」の中で生きるために、領主と
戦う農民たちの最高指導者と成ることを承諾する。


 以上のようだが、舞台は16世紀のドイツだが、扱っている
問題は現代において切実な問題ばかりだろう。神と永遠を
断固、否定するゲッツのおもいは真実に近いだろう。16世紀
も現代と同じく、懐疑と神学の思想の混乱期であり、さらに
民衆は現代より遥かに行動的であったようだ。だから現代を
表現のための舞台として最適だった、・・・・わけであろう。

 でも戯曲は切実な内面を堅苦しく描くだけではなく、これ
らを舞台に活かすため、半ば、ヴォードヴィル的な手法を駆
使し、三幕ともにある意味、どんでん返しを結びにおいてい
る。だから「思想激」でも上演したら四時間でも観客を飽き
させないというのだが。まったくドギツイ手法もテーマの堅
苦しさを活かすための恰好の手段、だったというべきか。

 

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