宝塚、懐かしの写真館(243)伊勢川鈴子、「私を描く」 『歌劇』昭和10年10月号
私は幼年時、東京で育ちました。今でも実家は東京にあり
ます。宝塚少女歌劇を初めてみたのは市村座時代です。
その時の曲目は「那須の馬市」、「かまど姫」、「ジャッ
クと豆の木」などで、まだあの美しい春日花子さんや沖津浪
子さんなどが活躍されていました。奈良美也子さんのブロマ
イドにも憧れを抱いたのもその頃でした。
その後、姉(故 鵲霜子)が宝塚少女歌劇に入り、親しい
同胞の姿を舞台で見て、私の宝塚熱も自然と高まっていきま
した。ついに邦楽座で入学試験を受けました。今でこそ、そ
の場所は東京市内ですが、その頃は郊外だった千駄ケ谷の私
の実家から丸の内の邦楽座までどんなに胸躍る気持ちで受験
に行ったでしょうか。
両親は姉が入っていたくらいですから反対はしませんでし
たが、さりとて熱狂的なファンぶりもないし、つまり放任
でしたから、些か私も物足りない気持ちもありました。こう
申しますと親達には済まないとは思いますが。
私と同期で入学は高橋浪子、小松歌子、門野まろや、山路
静香、直木真弓、汐見洋子、室町良子、玉川清子、草笛美子
、明津麗子さん達で、皆さん、ビッグスターになられました。
私は実家が遠く、予科時代からずっと寄宿舎で、その生活も
ずいぶんと長くなりました。
宝塚入学当時、宝塚在籍の姉、鵲霜子と、宝塚植物園で
初舞台は白井鐡造先生の『品行診断』でした。この頃の新
生徒さんは数多く役が付きますが、当時は五幕の出し物で
、かろうじて一役で出られる程度でした。それでも有頂天に
なって二時間前から楽屋入りしてお化粧に念を入れました。
いまならせいぜい十分くらいですが、そのときは、何度も何
度も顔を作って最後は泣き出しました。で、いやーな気持ち
で舞台に開幕ベルに追い立てられるように、走っていきまし
た。
初舞台のとき
初状況での舞台は「モン・パリ」歌舞伎座でした。その時
は家族も見に来てくれ、ほんの小さな役でしたが嬉しく思い
ました。
入学当時の印象、思い出は、・・・・・・当時、寄宿舎で
私だけが東京出身で、東京弁でしたから、今は退団されてい
る上級生からよくいじめられました。懸命に早く関西弁になろ
うと勉強いたしました。京都弁の室町良子さんと朝鮮から姉妹
で来られている方が言葉では異色でした。その朝鮮出身の方と
はよく一緒の遊んだり、お話しました。朝鮮の歌を教えてもら
ったり、だから私は内地の歌を教えてあげました。
公演終了後、数日の休みを利用し、親しい方々と旅行に行く
のが楽しみですね。この四月には故里しのぶさん大殿みやび
さんらと勝浦から那智、瀞八丁、鬼ヶ城の海岸まで、国立公園
の名勝を歩き、岩角にあたってしぶく太平洋の浪をみたときの
感慨は忘れられません。
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