阿部知二『人工庭園』1954,映画「女の園」木下啓介監督の原作、登場人物が作者の傀儡、真の芸術化ができていない

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 木下啓介監督で松竹の『女の園』高峰秀子、田村高廣、高峰
三枝子、久我美子、岸恵子、など出演、バンツマ二世として、
田村高廣のデビュー作である、木下恵介監督の前作「二十四の
瞳」は空前の大ヒット、不朽の名画となったが、木下監督の「
硬派」な面は出ているが、この映画を見てどうもしっくりしな
かった、という印象は拭えなかった。真の芸術化ができていな
い、すなわち人物が作者の傀儡的でいかにも作り物、の印象が
拭えなかった、壷井栄と「主知的文学論」の阿部知二のキャラ
クターの差、にしても、である。で、その原作は阿部知二と映
画紹介でも出てはいるが、「女の園」というタイトルの作品は
阿部知二にはない。「人工庭園」がそれである。映画で受けた
印象とさほど変わらぬ印象である。

 阿部知二が当時、政治的関心、社会的関心を増していた頃の
作品である。なかなか力作かもしれないが、硬さがあるだけで
なく、基本的な欠点がある。映画は、設定内容をやや変更して
いる。

 『人工庭園』は舞台は地方の女子大、封建的に古風に装置さ
れた人工的な環境で、若い娘たちがどのように生き、反抗し、
委縮するのか、それを描いている。中心となる女子大生は出口
芳江、彼女に下田参吉とう愛人的な学生がいる。彼女の親は参
吉との結婚は許さないが、彼女、出口芳江は彼の良き伴侶とな
るために懸命に勉強しなければならないと思い込んでいる。

 参吉からの手紙も五条という冷酷なる女性の寮長に開封され、
握りつぶされている。学校の封建制は彼女が寮の消灯時間以後
の勉強さえ許さない。徐々に芳江は反抗的になる。

 滝岡富子という同室の女子学生は、テニスで鬱屈した不満を
発散させていたが、ふとした機会から大学を中退せねばならな
くなり、小料理屋に住み込み、洋裁学校に転じて、芳江と参吉
の手紙を取り持つ。

 このほかに林野明子という女子学生は裕福な家庭の娘だが、
赤に染まっており、学校の封建制と戦うべく、芳江に働きかけ
る。だが、芳江はしだいに悩みが深まってノイローゼ的になっ
ていき、突如として参吉の下宿に現れたりしていたが、ついに
山中で自殺を遂げる。で、この作品はその自殺現場に参吉、明
子、富子が向かう場面から始まる。

 平戸もまた学校の方針に従って芳江を窮地に追い詰めた一人
だが、彼はひそかに芳江を愛していた面もあった。しかし五条
寮の寮長の支配下にある彼は何一つ、芳江のために尽くせなかっ
た、。芳江の自殺が学校を狼狽させているとき、国立大学での、
これは京都大学を想定と思うが、そこで開催の平和集会にスパイ
的任務で参加したか平戸は、大学時代の友人Fが進歩的教授と
して万雷の拍手で迎えられ、講演するのを聞いて憂鬱になって、
芳江の死に場所を訪れる決心をする。

 その他にも、皇太子に狂う女子学生や歌謡曲雑誌を愛読の女子
学生など、学園の野蛮な封建制の中での女子学生の群像を描いて
いる。冷酷で弾圧の梁上もある意味、不幸な犠牲者として描いて
いる。作者の云う人工庭園たる女子大の時代錯誤の反動的性格を
描こうと努めているようだ。

 従来の阿部知二は社会問題、政治問題から逃げて、すべてイン
テリの傍観者的態度に執着した弱さがあったようだが、ここでは
思い切って政治的スタンスを取っている。そういう傾向を初めて
作品化した「人工庭園」だが映画の感想と似たような印象だ。一
応の成功作ともいえるが、人工庭園の虚偽を冷徹に計算づくで描い
ているのだが、それは無難な仕上がりにつながっている。

 だが女子学生の群像、が、いかんせん迫力も乏しく不自然さは
否めない。人物本来の躍動性、生命性が希薄で、作者のいかにも
傀儡のようだ。つまり、

 阿部知二は用意周到な計算でこの作品を仕上げた、が人物の真
の芸術化とついに無縁に終わった。自己の内面の精神から抉り出
すことに到底、届いていない。なんだか作品の底が浅すぎる。力
作ゆえにその不十分さ、いかにもぎこちない、作り物感が否めな
い。京都五条に寮がある女子大とは?四年制女大となると、

 京都女子大だろうか。

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