宝塚、懐かしの写真館(243)關洋子(関洋子)「パリゼット以後」 『歌劇』昭和9年8月号
『パリゼット以後』關洋子、白井鐡造先生の帰朝土産とし
ての「パリゼット」以後、今まで西洋物を日本風の化粧で手
足も白く塗って出ていたものが、このときから、純西洋風に
なって手足は小麦色に化粧するようになったのは化粧上の、
いあば大革命であり、また私たちにとっては最も大きな出来
事でした。もちろん「パリゼット」で現在のレヴュウの形が
新しく作られた、ということはいえますが。
私は薔薇の精になって、今は幸福な結婚生活に入っている
夏木てふ子さんと共にアクロバットを踊りました。初めて
タップダンスにも出ましたが、何しろ、今までと趣向があま
りに違うので本当に、皆、猛練習で挑みました。この「パリ
ゼット」でダンス専科の存在が一躍、世間の人々に認められ
たと思っております。
つぎのレヴュウ「セニョリータ」でも私は夏木さんと共演
で、エピローグのワルツでは大きなタンボリンを中から破っ
て出る役でした。あの懐かしい「サルタンバンク」の第一場
では玉津さんがピエロ役、私がコロンビーネになって序曲を
踊りました。今は退団された富士美智代さんが私の衣装の
裾を踏んだので、一丈あまりの裾で輪になった部分が解けま
した。それをまたくるくる回りながら、片手でタグって何と
か終わらせました。でもあんなにドギっとしたことはありま
せん。
去年の十月「ネオパリゼット」新橋演舞場公演で私は先生
にお願いし、ラモナに出していただきました。ラモナの曲が
本当に好きだったからです。
この十年の間、多くのダンスの試練を経て、私もまたあらた
な研究をする一方で、将来は本格的なクラシックもやってみた
いと思います。
關洋子 「双子は朗らか」大劇場公演
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