田中保善『泣き虫軍医物語』1980,真の歴史の証言は庶民のみが語り得る


 1980年に毎日新聞社から刊行された本である。庶民の「自
分史」といえる。著者は当時、佐賀県鹿島市在住の開業医で
あった。太平洋戦争末期に応召、急造の軍医となった著者は
建前のみ優先の軍隊で本音に忠実に生きようとする。旧制の
佐賀高校在籍中に左傾化し、マルクス主義にやや染まった、
九州帝大医学部では白柳秀湖らが説く、アジアの植民地から
の解放を目的とする大東亜共栄圏思想に共鳴、まあ、戦中派
インテリの典型だった。

 著者にとって生きるとは本音に忠実に生きることだった。
病で倒れたたり、戦傷の兵士をかばい、下級兵士の支持を強
く受ける存在になった。こうなると逆に高級軍医には睨まれ、
意図的に困難な任務を押し付けられたりする。進級も停止され
、いつまでも見習い士官のままだった。

 その間、フィリピンは制圧され、沖縄も。戦局の破滅的悪
化はボルネオの防衛など無意味とするが、現役の将校はあくま
でも玉砕思想に染まっている。その中で著者の田中さんは陣地
回診の途中で、生き延びるため密かに退路を探し、マレー語を
習い、モグリの医者となってでも日本に生きて帰ろうとする。

 田中さんは、あとがきでこれらの行為を、常に人間らしく
生きようとしたことの当然の帰結だという。それは自分を
いとおしむことは、人をもできるだけ、いとおしむことだ
、とも。

 これらの全くの市井の民の体験は、まず世に触れることもな
い、刊行されて世に知られるなど奇蹟的といえる。全ては、ま
さに興味深い話は埋もれてしまうのだ。

 毎日新聞のこの本を扱った編集部は色川大吉「ある昭和史・
自分史の試み」をも受け持った。これは毎日新聞出版文化賞を
受けた。

 そのコンセプトに沿っての田中保善さんの本の刊行であった。

 編集部は「色川先生の受売りになるが、昭和が日本史上の有
数の激動な時代で前例もない多数の犠牲者を出した時代である
こおt,それは個々の日本人も歴史的事件に巻き込まれ、特筆
すべき自分史を持っていたはずだ。ノンフィクション作家によ
る資料収集による執筆でなく、自分自身の比類なき体験こそが
刊行に値するはずである」と、

 歴史とはしょせん、権力者に好都合に書き換えられる。そん
な流れの中の庶民の体験はほとんど埋もれてしまう。庶民の
自分史がいかに重要かということである。

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