亀井勝一郎『島崎藤村論』1954,藤村の多面性を探る

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 亀井勝一郎はまだ藤村の存命中、昭和14年、1939年に一度、
藤村論を書いているという。それは「一漂泊者の肖像」とい
うものであるが、この戦後の「島崎藤村論」はそれら、過去の
亀井勝一郎の藤村論はすべてご破算として、新たに、小説と同
等しく、詩歌、随筆などの文章を同等に見て相互の関連を極め
ようというものである。なおこれは現在はKindleで購入できるし、
1965年に亀井勝一郎選集の第五巻で出ている。

 書き下ろし長編評論の「島崎藤村論」だが、亀井さんは「情熱
をして静かに燃えしめよ。湿れる松明のごとく」という「春を待
ちつつ」のフレーズを冒頭で引用し、これを村の詩と散文をつら
ぬく情熱の根本的性格とし、この情熱を保つために独特の沈黙、
云うに云われぬ思いという沈黙の重さに、表現まで「おぞき苦悩」
と呼んだ藤村的時間をたてる。こうhして藤村の全作品は「吾胸
の底のここには言い難き秘密住めり」落梅集という主題歌を奏で
ているという。

 かくして第一章の「詩人」では「おぞき苦悩」者の鈍重なとな
りに「俊敏な才人」が住んでいたことを挙げ、「若菜集」から「
破戒」までの藤村にあった様々な可能性が「破戒」においては自
伝作家の方に向かう出発点としての詩人が語られている。

 明治のロマン主義として鴎外らの「於母影」とキリスト教から
来た、一方における処女崇拝、たおやめぶり、、他方でルネサンス
としてキリスト教から異教美への陶酔、すなわち罪の喜びが教えら
れるという。さらに藤村の詩のもう一つの基調となった漂泊のしら
べで、自己解放による自己形成の方法論として、芭蕉の「旅」を受
けとってきたとする。ここで流転の苦とともに、瀟洒な自己の姿を
思う、「風流」洒落者の一面が出るという。

 「詩人」で提出されたいくつかのテーマは、第二章の散文家とし
ての変遷から展開を見せる。第二章では最初の短編集「緑葉集」に
は「破戒」以後の長編で消えていた様々な可能性があり、全生涯で
一番奔放な小説概念をいだいていたときとする。それゆえに、「う
たたね」の「戦場」、「旧主人」の女中の陰口、「爺」の「性の哄
笑などを指摘し、そのテーマは皆、姦通、情欲であると、藤村が激
しいデカダンスに陥った時の所産、無頼派と名付けている。

 これが『緑葉集』における第二の破戒だとするのだ。このような
可能性は『破戒』におうてしぼられ、瀬川丑松という被差別部落民
という「自己」の分身を虚構し、自己の課題を解こうとしたこと、
ここにルソーの『懺悔録』から引き出された告白がある。藤村はこ
こで、藤村流の「型」、「秘密」、「隠せ」、「沈黙」、『片思い」
「告白」という秩序を完成させた。『破戒』かあ『春』に至る小説諸
概念の変革はあるが、自然に自伝的作家になったという。

 第三章『家』では、亡霊の巣、結婚生活など、血の汚れと情欲を探
ったのちに、特に短編集『食後』における軽み、虚構の世界にあるも
のを無視し、第四章『旅人』と市隠において、「新生」事件を基調と
する『生い立ちの記』や『櫻の実』をめぐる「事故の生命の源」に遡
り、自己の再生を図ろうとする。それが「父」の回想につながる。
フランスへの旅に伴う、『仏蘭西だより』、『海へ』『エトランゼ』
などの紀行文、童話集が探られる。

 亀井さんが最も力を入れたと思われる『青春の回想と海』が非常に
見事であり、ついで『新生』を論じる。『新生』が宗教文学に転化
する可能性がありながら、藤村が自己の内なる「悪魔性」を回避した
ために,神を回避したことになって結実しなかった、という亀井さん
である。

 詩と小説とエッセイが同等となってどうも読後感は希薄になるが、
ともかく藤村の多面的な面を描き、作品を通じて作家の独自性をたど
ったため、藤村の印象がやや散漫になったきらいはある。

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