イヴァン・イリッチ『脱病院化社会』1979,今こそ読まれるべき「医原病」社会の告発

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 今や既成メディアは薬害、医原被害などの告発は毛頭なく、
逆に最低限の治験を主張する人たちに向かって「デマ」、「
誤情報」と罵倒し続けるなど、行き着くところまで行き着い
た愚民化洗脳社会を呈している。1979年に日本語訳出版と
やや古いが基本的なコンセプト、主張の正当さは増すばかり
だ。この本は古書だが、同じ著者による「脱学校の社会」は
現在なお出版されている。

 端的に云うならば「病院にい行けば病気をな治してくれ
る」という思い込みは病院経営には貢献は圧倒的に大きい
が、さて、現実に我が身のためになっているかを考えれば
いい。

 医学によって得られる健康、という幻想を与え続ける社会
の仕組み、制度、メディア、教育、行政の強要、その結果は
医療のあらゆるレベルで、大きな弊害が生まれている。端的
に云うならば、医学が直せる疾患、疫病は限られている、だ
がこれを少しでも疑うものには迷信に溺れるもの、とか挙げ
くに警察権力まで行使される。病院は治す手段はなくとも、
検査という確実な収入源があり、また治癒に結びつかなくて
も、学界で認められ、ルーティーン化した「治療」さえ行え
ば利益が確実に得られる。治る、治らないは関係ないのだが
既成メディアの支援は分厚い。

 ともかく医学、医師は医者の理屈によって、病人を細かく
分類された「病気」の一つとしてしか見ない。検査、診断、
治療も手術も投薬も予防も、薬剤と器械による包囲でしかな
く、医療は隅々まで非人間化されている。

 この包囲と非人間化は健常者にも及ぶ、「無症状感染」が
咆哮されている現実を見ればいい。健常者も新コロ騒ぎは、
典型だが、ともかく健康ケアという名の下、組織的、制度的に
病気に所属させられる。個人の社会的な役割分担の適不適の
判断までがケア付きの手法で強要される。

 この官僚的介入は同時に「収奪の装置」としても猛威をふるう
、健康幻想が医療の本音としての利益万能と、人の命など虫けら
同然という考えが根底にないとはいえない。

 この本では、多くの不都合な状態への牽引が医原病の結果と
考えている。医原病は臨床の段階から、「病気の博物館」とし
ての病院とへ、保健医療という産業の収奪の正当化、、それが
国によって保証され、健康保険制度として強制されている。

 人間の自律的な健康である自由、病気であることの自由も収奪
の普遍化で冒涜されている。

 この本は非常に舌鋒鋭い、もはや現在のメディアには受け入れ
ないほどだ、要は管理社会への批判精神である。医療による健康
幻想に操られ、「地獄めぐり」をしいられているという。出来上
がった「文化」を突き崩すのは難しい、まして21世紀の世界的洗
脳の時代は、である、。ますます現代的な内容だ。

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