ラングトン・ウォーナー『不滅の日本芸術』The Enduring Art of Japan,ウォーナー伝説批判論者も読んでほしい

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 第二次大戦中、ウォーナーリストとして戦争から守るべき
日本の文化財のリストを作成し、少なくとも京都、奈良は
空襲を免れた、という言い伝えには批判論が多い。リストの
作成は事実、だが京都、奈良が空襲を免れたのはウォーナー、
Langdon Warnerの進言によるという戦後長く信じられた説に
は今日、批判が多い、止まらない。たしかに現実の政治的世界
にどれだけの力があったかは疑問であるし、真意も事実関係も
不明としかいえないが、ウォーナー博士の日本の芸術への愛情、
理解は疑いない。アメリカのマサチューセッツ生まれ、ハーヴ
ァード大学卒、明治39年、1906年にボストン博物館東洋部長を
していた岡倉天心のもとで副部長、間もなく帰国した岡倉天心
を追って来日、長く日本に滞在した。

 岡倉天心の弟子として長く日本にあって日本美術史を研究、
「日本文化を自国民に紹介することに、何よりも喜びを感じた
」人物であり、戦火から守られるべき、日本の文化ジアのリス
トを作成した。大原美術館もじつは入っていた。だが多くが
空襲で灰燼に帰した。

 『不滅の日本芸術』はこういう著者の命をかけた研究の告白
のよな日本美術史の総体論である。単に行きずりの旅行者の、
お世辞めいた感想とは全く異次元である。また日本人のただた
だ実証的と称する退屈な美術史とも異なる。

 ウォーナー博士は自己の研究の立場をこう述べている。

 「歴史、風土、社会学、ならびに比較宗教学の相当な知識を
身につけて活用できるようになった時、人は初めて日本人の要求
や、それらの要求を満たす芸術について理解することが出来る。
そのためには、単に芸術家の年代の暗記とか、その影響を調べた
り、その美学を述べる以上の識別力ある学識が必要になうr」と
いう。

 ウォーナー博士のこういう研究のスタンスは、基本は日本美術
への限りない愛情から由来するのだろうが、その時代に応じた日
本美術の開花とをそれを生んだ、日本の社会歴史、民俗と精神の
中に再構成して、読者に提示してくれている。建築や彫刻に復元
図というものがあり、部分を再構成し、失われた昔の部分をも提
示してくれる。この復元図こそが最も情熱に支えられたものかも
ない。しかも、いつも新鮮な驚異と発見の意欲に満々で、作品へ
の月並な形式的な感想は示さない。

 博士はアメリカ人故に必然に比較美術史的なスタンスを取る。こ
れは世界に通用しそうにない難しい漢字を世界的な言葉に置き換え
ているばかりではなく、時代の性格をヨーロッパとも比較している。

 第一章は初期の仏教、海を超えてきた仏教の伝来による芸術、
技術をその当時の日本人が如何に受け入れたかを再構成して復元図
を示している。第二章は神道の背後にあるアニミズム、が日本人の
生活のみならず、芸術家の生活をも支配して、神道=アニミズムに
よってすべての技術が親方から徒弟に伝わっていったことを物語る。

 第三章以下は年代順に、藤原、鎌倉、室町、さらに第六章では偉大
な装飾画家として宗達、尾形光琳、七章は民芸の伝統、八章は芸術
における自然の変貌、第九章は茶、庭、禅など、

 芸術における変貌で、写実的ではない日本画の技術の定型化した
筆法を象徴と見て、日本画の性格を語る。

日本語訳は昭和29年、朝日新聞社から

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