司馬遼太郎『台湾紀行 街道をゆく四十年』1994,台湾人の純朴な心に思い乱れて

 1993年李登輝與司馬遼太郎三度對談.jpg
 とにかく現在は台湾の問題が日本にとって、実は世界情勢
にとって最も深刻な問題だろうか、中華帝国主義の浸潤拡大
は自らの主張を絶対的に正当化してやまない、チベットだっ
て絶対的な神聖な中国の領土、だというのだ。カシミールだ
って、ヒマラヤだって、領土主張を行って引かない中国だか
ら、もう一度云い始めたら不磨の大典である。・・・・・

 だが台湾はもともと華麗にして無主の島であったのに、日
清戦争後、50年にわたって日本に領有された。その時代を経
て戦後、「高度な照明技術で変幻する舞台」のようだった」
・・・・・台湾、1988年に李登輝が総統になってからは、
言論の自由もからり定着し、それゆえこの司馬さんの「台湾
紀行」も誕生し得たと思う。

 李登輝と同じ1923年生まれ、日本流では大正12年生まれの
司馬遼太郎さんは李登輝総統への親愛の情は格別のものがあ
ったようだ。

 「生粋の台湾人、本島人で客家。権力闘争なしで中華民国
という外来国家の元首となり、国民党総裁になった。責任と
義務の感覚の塊といってよい逸材であった。

 だが「この島の主は、この島を生死の地として生きてきた
無数の百姓たち」であり、「無名の働き者」の力で台湾の
繁栄が達成されたと信じる司馬さんは李登輝総統の誕生を別に
特別視しない。あくまでも一人の台湾人として理解しようとす
る。

 「山地人の一派のプユマ族」の長老で83歳の「大野さん」を
台東の地に訪ねた、その時の話。

 日本統治下での警察官から終戦ののち造園家に転業した有徳
の士、言葉は少ないが、きぱpり「わが人生に悔いなし」の
気概で昔語り、にはたじろぐ。その帰り、「日本にはもういな
いかもしれない戦前風の日本人に邂逅し、またもう再び会えな
いという思いが満ちたと、下記、さらに「この寂しさの始末に
、しばらく困った」という。

 この文章は「週刊朝日」に掲載したものを単行本化したもの
だが、巻末で司馬さんと李登輝総統が対談し、台湾独立を願う
ともうつるその言動が、中国を刺激していたのも事実、

 司馬さんはが朴な台湾人へ心を寄せる「台湾紀行」は一抹
以上の波瀾を秘めて「街道をゆく」シリーズでは確かに異彩
を放っていると思える。

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