宝塚、懐かしの写真館(245)「勧進帳」の「弁慶(天津乙女」」ができるまで、昭和12年10月


 昭和12年、1937年10月、大劇場での公演「勧進帳」三世
並木五瓶原作、楳茂都陸平改作


 山伏の一人、往来日記の巻物を一つも持ち来り弁慶へ渡す。
弁慶厳かに一巻を開き、読み上げる

 弁慶「夫つらつら惟ん見れば大恩教主の秋の月は涅槃の雲
に隠れ生死長夜の長き夢驚かすべき人もなし、・・・・・・」

 という昭和12年の宝塚「勧進帳」だが弁慶役は天津乙女、
1905~1980,だから天津乙女は32歳である。

 天津乙女

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 作者の楳茂都先生との打ち合わせが終わりますと、衣装部
では早速、弁慶の衣装のデザインにかかる。メガネの小松氏
が衣装のデザインに没頭

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 デザインができたら早速、西陣の織元に届けられる。織元
は早速、見本を調整、これは出来上がった見本の裂地を宝塚
衣装部で日本物衣装専門の木下真氏が検査している。これで
衣裳は本格的に織られる

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 まずは糸が染められて女工さんたちの手で整理されている。
これで機にかけられる。


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 いよいよ生地が織られていく、手前の機には弁慶の袴の生地、
その奥は弁慶格子の着付、見守るのは木下

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 宝塚の小道具係では,甲冑、珠数、馬刀など、小道具が作成さ
れる

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 弁慶の梵字の水衣が織られているところ、

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 西陣から出来上がった生地が届けられた。早速、裁断、富樫の
衣裳、弁慶の衣裳、義経の衣裳が裁断されている。


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 裁断された生地は早速、裁縫部に回される。裁縫部では日本物
の裁縫のエキスパートが大勢で裁縫に取り掛かっている。弁慶の
着付け、袴などが大半出来上がっている。

 
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 いよいよ、衣裳も出来上がり、晴れの衣裳の着始め、

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 何分にも、硬く重い衣裳であり、着るのに大勢の手が必要です。

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 衣裳部の着付けが終わったところ、天津乙女さん、すっかり
弁慶になりきっています。右端は金剛杖を持つ楳茂都先生。

 
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