クリスマスを祝日にしない日本、イスラム国も含め、世界の大半がクリスマスは祝日、日本は中国、サウジ、北朝鮮、イランと同類の特異国家
まず12月に日本は祝日がない、これはある意味、大きな
問題である。従来は「天皇誕生日」もあったが、それも
シフトして12月に祝日がない、日本は基本的に祝日の数が
少ない国である。一年納の12月に祝日がない、のは由々し
き問題だが、まったく取り上げられる気配がない。
候補になるとしたらクリスマス以外にない、時期的にも
ベストだが、日本ではクリスマスの祝日化は現実、、権力
構造に由来、実は日本の政治的な精神構造からまず不可能
と考えられる。この理由は考察したい。
現状、世界の圧倒的多数の国家がクリスマスを祝日化して
いる。いわゆる西洋人国、欧州、アメリカ大陸(北米、中南
米諸国」、むろんギリシャ正教系のロシア、東欧の国(セル
ビアなど」もクリスマスは祝日だし、完全なるイスラム国家
、マレーシア、バングラデッシュ、インドネシアもクリスマ
スは祝日である。フィリッピンはキリスト教国だからむろん
祝日でシンガポールも、である。中国化されたから香港は
どうだろうか、従来は祝日だった。
要はクリスマスを祝日化しない国が例外的で、それらは、
なにか「暗さ」を感じさせる国が多い。
日本、中国、サウジ、タイ、ベトナムカンボジア、ラオス、
インド、など、祝日化されなくてもクリスマスを楽しみ、
祝うことは盛んな国は日本、カンボジア、・・・・・だが
だが、インドはクリスマスはかなり大々的に祝う。
盛大にクリスマスを祝うイスラム国、マレーシア
何かといえば「西側の一員」、G7を連呼、アイデンティティ
のように咆哮する日本が世界でも例外的なクリスマス非祝日
国家、英語もろくに通じない、という、非常に文化的には異端
な国で何かといえば中国をけなすが、中国と共通部分は実に多
い日本だ。サウジはメッカの所在地、イスラム以外を祝うのは
厳禁、イランはイスラム至上主義、中国は文化の非国際性、日
本は宗教と認めない国家的超宗教の国家神道、「クリスマスを
祝日にしたら天皇陛下に申し訳ない」が喉元まで出かかるよう
な天皇制官僚の支配、全て意固地な国である。
以上はどこにでも書かれているが、、問題はその理由である。
それは日本の根深い国家原理に由来すると思える、決して「宗
教と政治の分離」憲法の原則に由来ではないと断言できる。
日本は本質的にキリスト教を歴史的弾圧、排斥してきた。
それは明治以後もであり、さらに明治維新後は国家神道・近代
天皇教が「宗教でないという建前の超国家宗教」として君臨し
ている、それは戦後も変わらない、わけである。国家神道が
宗教でないという建前で国家宗教で存在していること、これ
は「政教分離」の原則と表裏一体である。
このような国家原理、精神的原理の日本は国家神道の祝日
を「建国記念日」、「天皇誕生日」として法制化している。
仏教の祝日はない。
だが本質的には国家神道が根底で国家原理となっているから、
だけかといえばそれは違う。類似の精神的要素でMLBも全て
DH制、国内でも社会人野球、大学野球、パシフィックリーグは
DH制だが頑強にDH制拒否がセントラルリーグ、東京六大学、
関西学生野球、・・・・・「野球は九人でうやるもの」これ
が「伝統の証」という精神構造とクリマスの祝日拒否が根底で
つながっている、と思わざるを得ない。
日本は国家神道を信奉する団体が自民党、保守系政党の最も
有力な支持団体となっており、口には出すかどうかは問わず、
キリスト教を外来宗教として異端視する精神構造は社会におい
て根深い、ことは明らかである。
何か無縁な事案のようだが、日本人の保守的思想の根幹に
いずれも関わっていると思えてならない。「建前としての伝統」
こそがすべてに優先する、という思想である。日本社会におい
てはこの「建前としての保守」がすべてに浸透しているといっ
て過言ではない。「建前としての保守」を例えば「政教分離」
で正当化する、「九人の野球」で正当化する、現実に融通をも
って対応しないのである。
「他意はありません。それが憲法違反だからです」という
建前の論理がある、政府に質問したら、まず、そうこたえる
だろう。しかし、はるかむかし、漢字も伝来しない日本で
天照大神の子孫の神武天皇が即位した日を現代の暦にして
2月11日を「建国記念の日」、これは国家神道である。明治
以降、終戦まで宗教とされない超宗教として他の全宗教の上
に君臨した国家神道の中枢ドグマを祝日とした日本である。
戦前の紀元節だが、宗教を超えた国家的長距離宗教を祝日と
して、クリスマスは違憲だ、はバランスを失した、では済ま
ないだろう。
経済的側面からも世界の文化の潮流からしてクリスマスの
祝日化はいいことづくめだが、絶対許容しない何かが日本社
会を牛耳っている。それはおそるべき頑強さだ。他方で徹底
して「西側の一員」と自らを主張しても、同時に許容しない
ものがある。なにもクリスマスだけではない、それは日本社
会の空気というべきか。
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