戸石泰一『青い波がくずれる』太宰治とその弟子、破滅型作家の実像を描いている


 太宰治と田中英光、小山清、・・・・・田中英光と小山清
は内容は異なるが、太宰に「師事」した。田中は戦前、五輪
のボート競技に出場で体格は良かった、あまりに切ないのが
小山清、浅見淵が「小山清がアンデルセンを聖アンデルセン
と読んだひそみにならい、私は小山清を聖小山清と呼びたい」
とまで、感傷に溺れたかのような言葉も十分理解が出来る。
その不遇を極めて無垢な精神を愛おしんだのである。田中英
光は太宰の死後、その墓前で自殺した。

 玉川上水で心中を遂げた太宰治、その弟子、といっていいの
か、二人の弟子も自殺した田中英光、妻が自殺し、自らは失語
症、極貧の中で死んでいった小山清、この三人の作家と生前、
交渉があった著者、戸石泰一さんがその実像を描いた実名小説
で興味津々たるものがある。

 三人を「破滅型作家」と一括りにするのは私は納得できない。
田中英光と小山清はあまりに違いすぎる。だが生き方は激しか
ったことは共通であろう。田中英光の反社会的行動のすさまじ
さは、終戦後というドサクサの時代を考えても、まず通常の市
民では考えられないことだ。彼らの文学作品が、一切を正当化
し得るほど優れたものであるとは思えない。

 小山清は聖小山清!といわれるくらいで、不幸であっても破滅
型とは到底云い難い。だが全て不幸の中からしか文学は生み出さ
ないんか、ということだ。

 この戸石泰一さくひんでは、田中英光1913~1949の回想記で
ある「青い波がくずれる」が最も面白い。ロサンゼルス五輪の
ボート競技の日本代表、それを題材にした「オリンポスの果実」
という作品を持つ当時の日本人としては立派過ぎる体格の大男、
田中英光と著者が再会したのは、太宰治の自殺後、1948年6月の
葬儀のときであった。田中英光と小山清は戦前から太宰に師事
していた。

 著者は復員後、仙台の新聞社に務め、上京後、八雲書店で太宰
の全集の編集に携わった。田中英光は妻を伊豆におき、共産とか
ら離れ、新宿でアメリカ軍人のオンリーだった女性と同棲し、酒
と睡眠薬に溺れ、日々、アドルムの致死量の何杯も服用し、つい
には愛人を刺してしまった。その間、精神病院に入院し、カスト
ト雑誌に寄稿しまくった。著者は田中英光を健康体に戻そうと努
力するが、田中は太宰の後追い自殺を遂げる。壮烈というのか、
著者は裁くべきは裁き、読者に暗い感動を与える。

 その他は小山清についての「そのこころ」太宰との交遊録「
別離」も含まれている。

 
 戸石泰一さん 1919年1月28日 - 1978年10月31日

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 『青い波がくずれる』 出版記念会 (1972年2月6日、東京・新宿)

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