松本深志高校、登山落雷遭難、直前に撮られた写真 1967年8月1日
もう遠い昔の出来事になったのだろうか、1967年8月1日、
松本深志高校の登山グループが北アルプス西穂高岳の独立
標高点、2600m付近を下山中に、突然落雷に打たれ、11人が
脂肪、11人が重軽傷を負うという惨事が発生した。8月1日
午後1時ころだったという。
生存した生徒によると
「青白い光が指先から出て、岩に吸い込まれた」、「な
にか怪獣映画で見たように、僕の全身がピカピカと電波に
包まれたようだった」
死亡したグループのすぐ後ろにいた上島正君の話、落雷
の衝撃で岐阜県側のガレ場を200mちかく吹き飛ばされた。
「横殴りの雨に見舞われ、全身がぐっしょりでした。死ん
だ友人たちのすぐ後ろでして前を松岡君が歩いていたんです。
下の方の上高地辺りでピカっ、ぴかっと雷が光って突然に、
目の前が明るくなったと思うと、その瞬間、何も見えなくな
り、体が宙に浮いて暗闇の中に自分が落下していくのが分か
りました。でも全身の自由がききまsねん。斜面を流されて
やっと止まりました。痛みは全然感じないのに、全身が動き
ません。それで腕が折れたな、と思いました。上からは雨が
降り注ぎ、ヒョウで体が痛い、・・・・・・そのくらい経っ
たか、目を上げると尾瀬からはるか下でした。尾瀬には人影
もありません。夢中で這い上がろうとしましたが、ガレ場で
思うように動けません。それでも数メートル上がると、そこ
で誰かが倒れてました。死んでいるな、と思って近寄ると、
顔を上げて『誰だ』といいます。血だらけの田辺でした。並ん
で座りました。雨とヒョウでものすごく寒い、体を寄せあおう
とすると、田辺は右脚を骨折しているようで痛がりました。
そのうち雨がやみ、うそのように晴れてきました。するとブヨ
がすぐに飛んできます。独標にさしかかったとき、後ろで山岳
部の太田が『雷が落ちたら俺に落ちるから心配するな」といい
ます。なんで僕ら二人だけがやられたのかと、田辺と話しまし
た。
早く救助してくれないかと、上ばかり見ていたら、横内先生
が『みんな動くな』という声が聞こえました。ずり落ちないよ
うに、そのままじっとしていたら、初めて生き延びた、と思い
ました。でも寒いし、いつまでたっても誰も来ない、このままで
は遭難すると不安でした。
救助隊が来てくれたのは午後5時くらい、鎖の切れた腕時計が
裂け目だらけのヤッケの中で動いてました。死んだ田村と小林は
前夜、僕らのテントに来て夜じゅう、ふざけあっていたんです」
松岡照夫君
「突然、頭に石がぶつかったような感じでした。3m程落ちて
気を失っていました。でもすごく、いい気持でした。しばらくし
てほっぺが冷たいので気がつきまhしたが、頭が下になっていて
体が動きません。周りに皆倒れていたので雷にやられたのかなと
思いました。救助隊によって独標へかつぎあげられると、そこで
倒れた友人が人工呼吸を受けてました」
田中哲三君
「僕は小口先生の前を歩いてました。音も光もきづかず、気を
うしない、気がついたら倒れてました。横内先生が助けてくれま
した。そばで小口先生が血だらけで倒れていました。『眠るな』と
云われましたし、眠ったらそのまま死ぬと思いました。雨とヒョウ
で寒くて、すぐうとうとしてしまいました。雨が止んだら青空、光
がまぶしかったです」
氏名不詳
「足元ですごい音がして、ダイナマイトでもしかけられたら、
あんな感じでは。足払いをかけられたように、吹き飛ばされて、
無意識で岩にしがみつきました。でも伸ばそうとした手がしび
れてすごく痛かったんです。指先からツーっと青白い光が出て
、岩に吸い込まれていきました。全ての指です」
深沢むつみさん
「私たち女生徒七人は鈴木先生のあとにつづいてました。私は
最後尾で、近藤先生の前でした。鈴木先生がクサリ場を降りよう
とした時です、気がついたら私は右手が下にダラーっと垂れてま
した。独標頂上から少し下がってクサリ場の手前でした。周りの
女子もみな伏せてました。近藤先生が『鈴木先生が落ちた』と叫
んでsました」
その直前まで横内先生が撮っていた写真、これは遭難一時間半
前の撮影、笑顔の松林直則君も、その後ろの三人も亡くなった。
落雷のエネルギーはすさまじく、行方不明となっていた三人は
翌日、長野県側のカモシカ沢で遺体で発見された。300m下のガ
ラ場付近から救助隊がザイルを使ってようやく遺体を引き上げた。
8人はそのまま動かず、3人はすさまじい落雷の水平攻撃で
吹き飛ばされて行方不明となった。友人と折り重なんるよう
に倒れていた
悲報学校に駆け付けた家族たち
学校に自衛隊ヘリで遺体が無言の帰還
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