伊藤整『泉』(1954年、朝日新聞連載)一種の心理小説だが、暗い「鳴海仙吉」、陰気でまじめ腐っただけの文体

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 正直、私は自分では伊藤整愛読者の端くれと思っていたが、
この『泉』という作品はながく存在を知らなかった。それま
での伊藤整の「代表作」と思しき著作はほぼ大半が発表され
ている。『泉』は「朝日新聞」に昭和34年、1959年の4月か
ら10月まで連載だが、その前年には『氾濫』、さらにその
前は最も代表作というべき、「若い詩人の肖像」がすべて
発表されている。有名なチャタレイ裁判もその前、もはや
押しも押されぬ文壇の大家となった伊藤整のこの時期の『
泉』、主人公は大学の英語教師、英文学の教授であるから
東京工業大学教授であり続けた伊藤整の実像と重なる。
『鳴海仙吉』なる教養小説もすでに発表されていた。

 写真はチャタレイ裁判での伊藤整、出版社長と並んで

 余談だが、なぜ伊藤整が東京工業大学教授?という「
疑問」だがそれは桶谷繁雄さんの後押しである。東京工大
で英語、英文学の教授選定となって「ありきたりでない、
一芸に秀でた人物」が選定のコンセプトになっていた。そ
こで桶谷さんが伊藤整を推薦したのだが、伊藤整は東京商
大(戦後の一橋大)中退で大卒の学歴もない、小樽高等商
業卒である。「私は大卒の学歴もないので」と伊藤整は固
辞したのだが、「まあ、そういわずに」と桶谷さんが強引
に教授に推薦したわけである。就任後、チャタレイ裁判に
なって有罪確定し、伊藤整は東工大に辞表を願い出たが
大学は辞表を受理しなかった。伊藤整は「家内は毎月、確
実に給料、さらにボーナスが入るので喜んでいます」と桶
谷さんに感謝しきりだった。

 そういうこともあって「大学教授」という設定の伊藤整
の作品は何作かある。その一つが『泉』、・・・・もう代表
作的作品はあらかた発表していた。ちょっと目標を喪失なの
か?と思わせる。

 内容は、東京で有名な富士大学の英文学教授、軽部正巳は
いたって申し分のない紳士、学者である。これは作者に擬し
たものだろう。その講義は学生に人気で、評論家としては、
現代の組織と人間の問題を論じて新人格主義を唱えている。
だが酒好きな軽部は、しばしば度を越して飲んでは意識を失
い、自分が何をやったかも記憶にないという醜態を演じる癖
がある。

 ある夜、軽部は酒場で別れ際に「女給」にキスをした。そ
れを軽部を崇拝していた一人の学生が見て、批判の手紙を出
した。軽部夫人が偶然に、その手紙を読む、・・・・・

 長い小説といえるが、そのプロットは以上であり、軽部教
授は学生と妻からいやな目で見られる。かくして自分の内面
を分析せざるを得ない。ジキル博士とハイド氏のような二面
性が存在し、表面上は論理と倫理をぶっているが、内面は、
まったくいい加減な主体性の希薄な人物でしかない。

 やがて軽部はキスした女給(まだそんな言い方だった時代?
)に愛を感じるが、要は何一つ、身辺に変化を起こす決断も
なく、妻にはうそを言ってこの危機をクリアーする。妻は、
ヒステリー起こしたが、逆に夫婦生活(性生活)は新しい局面
ということになった。女給もいつしか忘れていった。

 とまあ、要素は前にも後にも伊藤整の小説に出てくるような
要素といえる。しかし歯切れが悪く起伏もない。これが長編だ
から不評は当然だが、脇役の学生に必要以上にだらだらページ
を浪費し、発展の見込みのない綾を出没させている。一冊の本
なるとそれなりの、「心理小説」だが……伊藤整の悪い面が出
ている。表向きは紳士面でまじめくさって、中ではエッチなこ
とばかり考えている。「若い詩人の肖像」に出てくるあの恋愛
対象の女性と東京でその後、再会、女性の本名は「シゲル」で、
自分の次男だったか、それから名前をとって「滋」、・・・・
ちょっとねぇ、である。

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