大室寅之祐は何処に消えた?維新の英傑の中心に座る写真、杳として行方は分からないが真相は



維新のそうそうたる英傑たちに囲まれ、その中心に陣取る
長州藩お抱えの南朝の血脈を次ぐ大室寅之祐、この写真は
非常に著名になっている、また即位後間もない、明治天皇
の写真、明治天皇自身は写真を撮られることを極端にいや
がっていたからその正面切っての画像は少ない、その明治
天皇の写真と維新の英傑たちに囲まれた大室寅之祐の顔は、
誰がなんと言おうが明らかに同一人物である。左耳はこれ
では比較できないが、他の若き日の左耳が写った明治天皇
の写真から同一人物と断定できる。
だか未だに国は一切、その事実を明かそうとしない。歴史
学者も全て全くその役割を果たそうともしない。右も左も
である、英傑の中心にいる大室寅之祐だが、突然、姿を消し
た、以後、杳としてその姿は一切確認されない、見られてい
ない、明治憲法のドグマで「神」となってしまったからだ。
国の方針は徹底して一切、そのような疑念はない、疑念がな
いちも言わない、一切、相手にしないという知らぬ存ぜぬ
である。明治天皇が孝明天皇の子でない、と分かれば明治
以降から現在に至る近代天皇制の「全てが終わる」と考え
ているからである。かり問題化すればその国の全機構を
挙げて否定に全力を尽くすだろう。近代天皇制とは巨大な
官僚機構が「天皇」を民衆の統治のための道具として利用
するシステムである。天皇機関説どころではない。江戸時
代までは「天皇制」などという言葉もなかった。「天皇制」
の「制」とは近代官僚「制」が国民統治に利用するための
「制」であり、その正当化のために神話的ドグマを官僚
が独自に「創造、改変」し、国民に教育段階から叩き込
む、したがって「天皇制」とは古代からの制度ではなく、
どこまでも、明治維新以降の近代官僚制の部分なのであ
る。その最初の試みが大室寅之祐の「登用」であった。
ともかく、官僚は明治維新の創始の「天皇制」が古代から
連綿の伝統と国民に叩き込むことに腐心する、でないと
官僚が利用できないからである。
歴史学者の責任も重大である、孝明天皇暗殺は半ば常識
として認めても、そののちの明治天皇の出自には国と同じ
態度である。近代天皇制にまとわりついているのは、左翼
歴史学者とて同じということだろう。右も左もリベラルも
、論外である。文学者も同罪である。
尊王思想が南朝復活一辺倒ではなく、北朝を尊王する、
さらに攘夷というグループも維新時には多かった。この
グループのテロ行為は続き、大村益次郎を暗殺した。南朝
支持の開国派は最終的に権力を確立したが、全て情勢は微
妙だった。攘夷から開国へのスローガン変更も容易では
なかった。だが秘密は徐々に漏れ、明治天皇を奇兵隊天皇
と呼ぶ者もいた。それは麻里布の大室家へのテロ行為の危
険でもあった。南朝復活、吉野朝こそ正当とは云うが、
実際は南朝差別、偏見は大きかった。それは現在も水戸藩
が囲っていた南朝系の熊沢天皇へのメディアの口汚い罵倒
を見ても明らかだ。
伊藤博文は大室家に出入りしたのに、大室寅之祐を玉と
して迎え入れてからは大室家に冷酷になった。それは現在
につづく国の態度そのものである
大室寅之祐が急にいなくなったため地元、麻里布では大騒
ぎとなった。弟の庄吉は上関宰判所に呼び出され、熊毛郡の
大庄屋時政藤五郎の取り調べを受けた。
「貴様の兄の寅之祐はどこに行った。白状しろ」
と散々拷問を受けた。庄吉は知っていたが、我慢のしどころ
と考えて白状せず、知らぬ存ぜぬの一点張り、拷問に耐えた。
「もう殺してしまえ」という意見もあったが、まだ少年である
からと家に戻された。
吾郷清彦氏は『南北朝実相史』で
「某氏いわく、『孝明天皇は何らかの方法で暗殺された。
だが英明としてなる明治天皇が堂々と最終的に南朝正統論
を聖断し、以前に南北朝時代の北朝についた武将を逆賊とし、
など北朝系と考えればあり得ないことは誰でも分かる」
明治天皇が大室寅之祐、それは事実だが、明治以降の日本の
歴史は戦争で死屍累々である。その日本の悲劇が岩倉、大久保、
伊藤らの真実の隠蔽に狂奔し、歴史を偽造し、その国家原理が
誤った咆哮に暴走させたことに由来している。
明治天皇は自らの南朝の血脈を隠蔽させられ、一生涯、鉄仮
面で神にされての偽りの人生を強要された。格子無き牢獄であ
る。家族とも絶縁、皇族になれば家族と絶縁はここに始まって
いる。晩年、思いあまって南朝正統を正式に聖断されたが、だ
れも側近は明治天皇を助けようともしなかった。その出自が偽
られて、巨大な「明治神宮」である。これはその後の近代天皇
制の歩みが軍閥に牛耳られる悲劇につながったのは否めない。
焦土と化しての敗戦で「聖戦」を終わらせるしかなかった。
私は歴史学者たちもどいうもこいつも、歴史の偽造に手を貸す
という罪を糾弾されるべきと考える。
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