松村剛『ユダと美神』1966,反ヒューマニズム宣言、右翼への道


 さて松村剛か、右翼評論家として後半は活動した原点がこの
本なのだろうか?1966年か、・・・最近、。川端康成の代作問
題についてふれたとき、川端康成に三島の割腹後、脅迫状を、
松村剛が、その脅迫状も代作だったという笑えぬ話、で実はこ
れが川端の自殺の原因の最たるもので、別に臼井吉見がいうよ
うに安曇野出身のお手伝いさんなんか関係ない、わけである。
臼井吉見はまた作品中に山口瞳の文章を勝手に使っている。

 ま、それはともかく右翼論客になった松村剛『ユダと美神』
という思わせぶりなタイトル、元来は文芸評論家の松村がこの
本には文明批評、社会評論、またユダヤ人問題研究家としての
側面がよく表れた諸論文が収録されている。

 

 だいたい村松剛が世間に知られ、ポピュラーになったのは、村
松がアイヒマン裁判の傍聴に「毎日新聞特派員」としてイスラエ
ルに派遣されてからだという。現代史の黒く暗いニヒリズムとい
うナチズムへの関心、それは共感的関心かもしれないが、それが
松村をしてイスラエルに赴かしめた、のだろう。その後の松村は
東南アジア情勢、ナショナリズムにまで関心を広げ、さらにALN,
アルジェリア国民解放軍の塹壕にまで踏み入ってアルジェリア独
立戦線を取材したこともある。


 で、『ユダと美神』は出版までの数年にわたる、村松のかくも
国際的活動経験をもとにしている。文明論、政治論、歴史論、美
術論など広いジャンルに蘊蓄が傾けられている。通常の文芸批評
はやめたというべきか、多分に嫌われやすい、ニヒリズム、反ヒュ
ーマニズムの頂点を確立しようというようだったのか。

 したがって村松の社会評論、文明批評、ユダヤ人論はそれ自体
でなく、文芸批評の一環として書かれてリうようであり、『カル
タゴの興亡』や『ユダについて』のテーマが、その前の文芸批評
『仮面への意思』と呼応しているこpとや、『女性的時代を排す』
、『鎖国的人間像』を貫くのが、これまた独自の文芸評論の『悪
の復権』で傲慢に主張された反ヒューマニズムの立場を咆哮して
いるようだ。

 つまるところ、村松は、文学と諸情勢論との結合を、ユダと美
神という思わせぶりなタイトルで意図したということだろう。その
成功例的な評論は対独協力のフランス人作家のロシェルの運命に
ついて述べた『ユダについて』ということだろう。

この記事へのコメント

PEN
2022年12月11日 16:36
恐れ入ります、松村剛さんではなく、村松剛さんですね。