谷崎潤一郎『鍵』、谷崎流「痴呆の芸術」だが、「もういい加減にせえ」というほかない、現実にはあり得ない虚構

谷崎潤一郎はこの『鍵』につづく『瘋癲老人日記』、そんな
こんなで確か毎日芸術大賞?だったか、本当にその威光はたい
したものだ。でも「幼年時代」から、幼いころから家に来た、
玄人女性に目をつけるなど、本当に油断ならないガキだった谷
崎が成長し、「老人」になったらこれですか、という感じだ。
ただこの『鍵』は徹頭徹尾、抽象的な小説である。「具体的」
な性の描写で当時の世間を騒がせ、「国会」でも問題視された
というが、現実の世界で、あれほど性だけの世界が拡大されたと
いうべきか、凝集されたというべきか、あんなタイプの好き者が
現れるかといえば、絶対いないと断言したい。性の欲求、物好き
な欲求による、まあ初老の男の、肉体的破滅に辿り着くという結
果を導くために、谷崎は他のあらゆる世界、要素を切り捨てて、
ひたすら性と一点にだけ、解明を試みる。これは肉体の欲求と、
その欲求に奉仕する限りの心理の面だけで構成した、まったくも
って抽象の世界、完全な文学的な虚構の世界だ。
夫は大学教授、小説の世界ではよく「大学教授」が出てくる。
小説の主人公に仕立てやすいのかどうか、わたしはこれも作家の
安易な虚構趣味と思えるが、『鍵』で大学教授としての具体的生
活は描かれていない。56歳というえ?『鍵』の主人公はもっと年
寄りとおもっていた、56歳を「初老」というんはおかしい、でも
当時はそんな、昭和30年過ぎかな、56歳なんてまだ子供だよ、と
私には思える。まあ、仕方がない。
で56歳の男は肉体的に衰退期、だがまだ妻の肉体の美しさに惹
かれ、「あらゆる方法」を講じて自分の欲望を掻き立てるため、
気持ちいいい恍惚の境地に達しようと愚行の限りを行う、そのため
に自分の身が破滅しても構わない、もう性の亡者というのか、私
はこれは作り話も度が過ぎると思う。私はその年齢のかなり前に
無関心となって枯れた心境になっていたから信じられないのだ。
谷崎の『痴人の愛』、「卍」、『武州公秘話』、『猫と庄造と
二人の女』などの系列に属するとおもわれる、谷崎流にいうなら
「痴呆の芸術」の一つに違いないだろうが、このよな『鍵』の主
人公のような完全に純粋な痴人が現実の世界にいるとは思えない。
さりとて、好き者の男の性的欲求をある面だけ拡大したら、この
ような様相もないともいえない。多少は痴人的要素は持っている
ものであるから。
邦子という彼の妻は古風な京都の旧家に生まれ、封建的な雰囲気
の中で育って、いまも古い道徳を尊重する面がある。また秘密癖も
ある。ただし彼女は性的に欲望は人並み以上のようで、45歳になっ
ても「あの方は病気に強い」彼は彼女に対し、夫としての義務を果
たしていないという思いを払しょくできない。それに彼女が、秘密
主義から、結婚後、二十数年になっても、暗いところで黙々とことを
行うのみでしんみりした愛の言葉もいわないのが主人公には不満らし
い。
忘年元旦から、主人公は夫婦間の性の問題だけを書き込んだ日記を
書き始める。その日記のを入れている机の引き出しの鍵を、わざと
書棚の前に落としたりして、妻が秘かに読むことを期待している、
という誠に唾棄すべき醜悪な行為を行う。「鍵」という題名はその
鍵に由来だろうが、象徴的に妻の肉体の秘密の鍵を開くという意味も
含まれているようだが、鍵をかけておかないと、肉体は破滅する。
主人公は秘かに性についての想いを書きつける、それを妻に読ませ
たい、ひそかに読まれるという刺激で自分の欲望を掻き立てたい、の
だろうか、
もういい加減にしろ!
と読むと怒りが抑えられない。妻も日記を書き始める、これも夫に
読まれることを意識している。たがいに伴侶に読まれたいと思ってか、
性的な日記を書き続ける。秘密の隠微な交換日記でモラルの点で腐って
いるが、だから「痴呆の芸術」なんだろう。もう秘密の交換日記合戦だ。
さらにこの夫婦以外に、年頃の娘の敏子、その許婚にも擬せられてい
る木村という男である。主人公は妻が木村に惹かれていることを知って
いて、嫉妬を感じているが。それも性衝動への刺激であり、快感となる。
ある夜にブランデーに酔いつぶれ、バスタブの中で失神している妻を
主人公は木村と寝室に寝かしつけたが、はじめて明るい光の下で見た
妻の肉体美に驚く。主人公はそれまで妻に許されなかった性の痴態を
数々試みたが、そのとき妻からうわごとで「木村さん」妻は寝ぼけて
木村とやっていると錯覚している。
妻が失神し、全裸の肉体を亭主の前にさらすことはそれから習慣と
なった。もう性生活に夢中となる。木村という男を互いに刺激とする。
だがそのような制への耽溺は衰えた主人公の肉体では耐えられない。
もうくどくど書きたくない、ただ娘の敏子は不自然な筋書きでの、
奇妙な狂言回しとなっている。支離滅裂な性格だ。最後は木村が敏子
と結婚、母親と三人暮らし、敏子は甘んじて母の犠牲になる、「蘆刈」
と同じような決着だ、谷崎流パターンだな。
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